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ボタニカル哲学(後集124)風流に流されない

花を植え竹を育て、鶴を飼い慣らし魚を鑑賞するにも、何かの気付きが無ければならない。もし、漫然と景色を眺めて外観に心を奪われていては、我々儒教者が言うところの「身にならない行為」であり、釈尊が言う「無いものに囚われ拘る生き方」なのだ。こんなことでは風流と言い難い。

つまり、一見では達人と思える風流人でも、外観に気を取られ、本質を観る事が出来ていなければ、俗人であり、無駄な時間を使う人生だということ。

言換えれば、達人とは如何なる状態にあっても、概観に囚われず、見るもの聴くものに本質を見出す心がなければなりません、ということ。

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