見出し画像

商業出版する方法#75〜文章が上手く書ける極意【基本編・2】

元KADOKAWAの編集者でビジネス・実用書出版コンサルタントの渡邉理香です。

文章に関するお話、その2です。
その1については「基本編」としてすでにこちらで書きましたので参照ください。

その1では「まずは素直に言葉を出しましょう」「そもそも自分の気持ちを素直言葉にして、声に出して外に出せてますか?」てなことを書きました。
ようは「本音を出す」「本当の気持ちを言葉にして日々を過ごせているか」です。
はい、それができていないうちは、いくら学んでもどんなテクニックを習得しようとも、文章もSNSでのアウトプットも全くうまくいかず、伝わるものも伝わりませんので、絶対にここを抜かさないようにしてくださいね。

ということを前提として次です。
自分の気持ちを素直に表せるようになってみたら、どんなに間違ってようが、文章や文法、てにをはがおかしかろうが、とにかく「書き言葉」として自分の思いを綴ってみることです。

ここでも大事なことがあります。
それは、何文字以内に書かないといけない、とか何文字以上書くべきである、といったような「制限」だの「規定」だのをいっさい無視することです。

要はね、自分が表現したいことを気が向くまま、やりたいだけ、言葉にして書いて(打ち込んで)みることです。

はい、こんな簡単なことを今更・・!と思っているそこのあなたー。

文章が下手、とか言ったり思い込んだりしてなかなか手が動かない・ブログ一つ書くことができない・・続かない・・文章を書いて表現することは緊張する・・!ってな人ほど、「自由に書く」ということにそもそも慣れていません。
そういうスタイルを日々の生活の中で落とし込んでやっていません。
やっているようで、まーったくやっていない人が9割です。

今回の注意点は至極簡単です。

文章表現は「自由である」ということを、身につけることです。

人は往々にして「国語」を想定します。「国語の授業」をイメージして、みなさん文章を書こうとします。

よって「規定」を気にします。
うまく書くための「ルール」がないと、よくないんだ!文章は上手くならないんだ!という視点に陥ります。
まるで授業です。
まるで義務教育です。

すみませんが、文章ってそんなもんじゃないです。
本の書き手も「国語ができるから、上手な文章で本が書ける人」じゃあないです。

むろん、伝わらないより伝わった方が楽しいので「それなりのルール」は存在します。
しかし本来、文章が上手い人・伝わる書き方ができる人・影響力を与えることができる「書き手」、作家や著者というのは、国語で習うような文章はいっさい書いていない!といっても過言ではありません。

文章下手な人(そう思い込んでいる人)ほど、自由に書く、、ということを疎かにします。
規定やルール、〜のように書かねばならない、を先に求めます。しかしこれがナンセンスです。
「お手本のような・・」「優秀賞!」ような文章がよいのだろう・・・というイメージほど、一番つまらない文章になります。

読書感想文大会で、金賞をとるような文章を書かねばならない、、とか思っているかもしれませんが、読書感想文の大会で金賞とかとっている人がみんなプロの書き手になってますか?
むしろ・・・そんなんじゃない、義務教育の中で「落ちこぼれ」「変」「おかしい」「なんで言われた通りに書けないの!?」とみなされたことをやっている「自由な人」の方が、作家になったり、アーティストとして成功したり、、という不思議な現象が起こっているのがこの世の中です。

編集者は「綺麗な文章」「優等生な文章」なんていっさい求めてないです。綺麗で整って、何も間違いがない文章は、編集者が一番に求める「著者のオリジナリティ」が全く感じることができないものに構築されることが9割です。

どういうことかというと「書き手の味」、というものが感じられないのです。文章や文法の正しさなんてある意味どうでもいいし、それは本をつくるに当たって後から修正すれば良いだけの話です。
校正の人もいるわけだし、編集者もついています。

そんなことよりも「あなたは、どう思うのか?」「あなたは、どう感じるのか?」「あなたはどんな考えをしているのか」「あなたは何をやってきて、それについてどんな結果を出したのか」「あなたしか感じえない個性」を知りたいし、尊重したいのです。

よろしいでしょうか?
大事なのは「ルール」を守らない、ことです。
文章はもっと自由で開かれた世界です。
だからこそ、1000年も昔から、数多くの作家たちが活躍してこれたわけであり、世界中の人々を魅了する作品が残っているわけでして。

繰り返しますが、正しい文章を書いているから名文家ではありません。
「自分」を素直に出し、赴くままの表現を重ねている中で「伝わる文章」を探究してきたからこそ「名文家」です。
加えて言えば”国語”の観点からすると、名文家の文章は「間違い」や「おかしいぞ・・」も多く発生してますよ。

でも本の世界は「国語」の世界ではないし、文法だのなんだのに囚われるものでもありません。
もっとさまざまな可能性と自由性に満ち溢れた世界なのです。
その意味でも、あなたが次にやるべきことは、国語だの正しい文法だの言葉つかいだの、カッコイイ言葉(語彙)の数いちいち気にするのではなく、そんなものは完全無視して、心のままに「言葉を綴り、表現してみる」という行為なのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?