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運動音痴な息子が黒帯になった話 #4「当然の敗北とスパルタスイッチ」

子どもの頃ランドセルを置いては外を走り回っていた私とは正反対に、運動嫌いインドアな息子は保育園の時に私の意向でちょっと強引に極真空手を始めました。


口が固い?猪のO型という偶然から、先生に息子を気にかけていただけるようになったというところまで前回話しました。


この頃から、先生の練習にも力が入っていき稽古での遊び時間は無くなりました。
ちょうど息子も稽古に段々と集中できるようになってきたこともあり、お迎えの時少し早めに覗くと真面目に稽古している息子の姿が見られるようになりました。
始めてから何年も経ってるんですけど、、、(笑)

やっと組手も様になってきたこともあり、ある日先生から試合に出てみないかと言われました。これまで稽古にも身が入っていなかったので、空手歴○年と実態が合っていない息子です。
試合なんて出て大丈夫か?と思いましたが、本人は出る気満々だったのでとりあえず申込みました。


当日
会場に入った瞬間あ然としました。
我こそはと空手に自信のある子どもたちがうじゃうじゃ、、所狭しと柔軟やらスパーリングやらしています。
子どもに負けないくらい気合の入った親がジャージで相手をしていたり、、
同じ道場の子ども同志でスパーリングしたり、、1分も無駄にしない!!という感じで皆最終調整していました。
すぐに息子との練習量とセンスとモチベーションの違いを感じ、ソワソワしていた私とは対照的に
息子はというと、直前に先輩から声を掛けてもらうギリギリまで持ってきたクレヨンしんちゃんの漫画を読んでケラケラ笑っています、、我慢できず、、

私「漫画見てないで練習してきなさいよ!」

息子「大丈夫だよー!」


何が大丈夫だよ?
おいおい、それでいいのか?
闘う相手はこの中の誰かだよ?
皆ゼッケンの番号で自分の対戦相手をチラチラ偵察しています。きっと息子の相手は息子を見た瞬間「勝った!」と思ったことでしょう。

実力も経験も足りていないのに、どうしてこんなにリラックスできるのか。圧倒的な力の差で瞬殺される光景が何度かき消しても浮かんできました。そもそもなんで息子は試合に出ようと思ったのかという疑問さえ湧いてきました。多分出るつもりは無かったのに、その場の空気で「押忍!」と言ってしまったのでしょう。


息子の番が来ました。
息子は、運動神経が無いだけでなく、身体が硬い&だからといって柔軟等一切して来なかった(毎日やるように言われていますがやりません。努力しません。)
のに対して、 
対戦相手は動きも素早く、さっと踵落としが出るくらい身体が柔らかい、、これまで努力してきたことが一目瞭然でした。
私は内心「頼むから恥だけはかかないでくれー」と願うばかりでした。

瞬殺を確信していた私の予想通り、結構早い段階で綺麗に一本とられて負けてしまいました。当然の結果でしたが、この経験から何か感じてくれれば今回参加したことも意味があるかなと考えていたら、、
負けた息子が号泣していました。

それは意外な出来事で、努力はしていませんでしたが、、「負けたら悔しい」という感情は息子にあったのかと少し安心したのと同時に、直前までしんちゃん見てたくせに泣かれても、、と冷静に少し腹が立ってきました。

私「悔しいなら練習しろ。練習しないで泣くな」

息子「なんでこんな時にそんな事言うの!!」

私達は険悪なムードに、、そんな中誰よりも息子の悔しい気持ちに共感し、温かい気持ちで息子を見ていてくれたのは遠くから試合を見ていてくれた先生でした。
この日から次の試合こそは一勝させてあげたいと、先生のスパルタ指導が始まりました。

多い時は週3回の稽古の他に、2日マンツーマンで指導していただき、ガリガリな息子を太らせようと日曜日には焼肉だのステーキだの息子が好きなラーメンだの、、食べに連れて行ってくれました。
体質なのか結局今もガリガリの息子ですが、先生との出来事をいつも嬉しそうに聞かせてくれます。
誰が誘っても面倒くさがって外に出ない息子ですが、先生からの誘いを断ったことは一度もありません。

先生と息子は気付けばほぼ毎日一緒にいるようになりました。
息子も一人で通えるようになり、私は送迎をしなくなったことと
キッズ携帯を持たせてから先生と息子で直接連絡を取るようになったことで私は少し距離を置いて二人の関係を見守っていました。
お礼の電話をしても、

「俺がやりたくてやってるんだから、お礼なんていいんだよ。あいつが可愛いだけなんだから。」

普通ならこんなに運動神経も無い、空手のセンスも無い、やる気も無い生徒に力を注いでくれないと思います。どこへ行っても問題児扱いされる息子を「可愛い」と言ってくれた人は世界中で5本の指に入るほどの稀な存在です。それだけで涙が出てきてしまいます。
先生に確認したことはありませんが、これは愛情の他に説明がつかないと感じていました。
息子は毎日のように道場に通っていましたが、それは決して空手に魅せられた訳ではなく先生の愛情に引き寄せられて、先生の気持ちに応えたいだけだったと思います。

こうして息子の空手漬けというか、先生漬けの日々が始まりました。



長くなってしまったので続きはまた

長文読んでいただきありがとうございます。



つづく

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