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運動音痴な息子が黒帯になった話 #3「口が固い猪のO型」

子どもの頃ランドセルを置いては外を走り回っていた私とは正反対に、運動嫌いインドアな息子は保育園の時に私の意向でちょっと強引に極真空手を始めました。

前回進級審査で初めて帯の色が変わったというところまでお話しました。


進級してからも相変わらずやる気スイッチが入らず、稽古というより遊びに行っているような感じで緩く続けていました。
ただ、私が送迎するので雨の日も雪の日もとにかく週3回きっちり稽古には通っていました。

息子のやる気が無い空気はガンガン出ていたので、先生からもあまり相手にされず、、、あまりに身が入っていない時や目に余る時は先生から雷が落ちてきました。

ある日お迎えに行くと先生が私に

先生「この前全然やる気出さないから、ボコボコにしたんだけど家で何か言ってた?」

私「特に何も。今日はどうだった?って聞いても楽しかった!としか言わないんですよね。」

先生「大体そういうことあると皆お母さんに泣き入れたり、来なくなったりするんだけど、、あいつは稽古終わったらケロッとして普通に遊んでるし、次も何事も無かったように普通に来るんだよね。」

私「切り替えが早いと言うより、響いてない可能性が高いです。私が何か言ってもいつも右から左なので。」 

先生「母ちゃんに何も言わなかったのか。
大したもんだ。あいつは口が固くていい男だな。怒ってもまた来るから可愛くなっちゃうんだよな。」

褒められるポイントが、、
空手についてでは一切無く(笑)内容も初めて言われたものでした。
ただ、どこに行っても怒られることはあっても褒められたことが無い息子だったので、内容はともかく褒めてもらえた事、そういう目線で息子を見てくれる存在がいる事はとても嬉しかったです。

確かに息子は普段から返事だけは世界一良く、元気に「わかった!!」「はーい!!」と言うものの、実際は全然行動に反映されないことが日常でした。

恐らく口が固いと言うよりは、私と会った時には怒られたことを忘れてるとか
切り替えが早いと言うよりは、反省していないだけとかなんですが、、、
先生にはそこが大きなポイントになったようです。

先生は私の父と同じ年代なので、息子にとっては祖父と同じくらいです。
白黒も好き嫌いもはっきりしていて、
怒る時も褒める時も激しく、 
とても厳しい方でしたが同時に愛情深い方でした。
今の時代だと問題になるのでなかなかありませんが、時には容赦なく手が出ます。父兄はそれを承知で通わせていますが、このようなやり方を受け入れられる家は少なく、少年の部は常に生徒が4〜5人くらいという状況でした。
よく「道場に一歩入ったら俺が法だ!聞けないやつは辞めてくれていいよ。」とおっしゃっていました。
先生は怖めでしたが、なぜか子どもは一度も辞めたいと言ったことがなかったので通い続けていました。


またある日のこと、私がお迎えに行くと

「こいつ猪年なんだって?
俺と一緒だわ。しかもO型なんだって?
びっくりしたよ。俺もなんだよ!
なんか親近感湧いちゃうなー」

と言われました。
私は普段血液型も干支もあまり気にしない方なので、先生があまりに嬉しそうなのも内心「そんなに大事な事かな?」と思っていました。
ただ、これも先生にはとても大きなポイントだったらしく明らかにその日を境に息子への接し方が変わっていきました。


この2つの出来事で先生の息子への好きスイッチが入ったようで、その日から先生の愛情を一身に受け、いつしか「マイ サン」と呼ばれるようになります。


私たち親子にとってかけがえのない人物とは、この先生のことです。
この時は息子が小3くらいの時でした。それまでは、先生とやる気が無いけど稽古に参加し続けていた教え子だった二人の関係がここからどんどん変わっていく事になります。


長くなってしまったので続きはまた

長文読んでいただきありがとうございます。



つづく

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