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映画『すずめの戸締り』”深すぎる裏テーマ”を考察する。

超話題作『すずめの戸締り』をやっと見に行けました。

深いテーマを持ったアニメ作品大好きです!
偏った感情なしでこの作品を一度見た感想、また自分なりの考察など展開してみたいと思います。どうぞお付き合いください!

映画をご覧になった方は、私はこう思った、みたいなご意見やご感想などもお聞かせ頂けたら幸いです。
以下ネタバレを含みます。
ご了承の上お進みくださいませ。


この映画を一言で表現するなら

東北の震災で母を失った主人公の少女すずめが、トラウマから脱却し自立を遂げて行く成長物語であり、

そしてこの映画を見た震災で傷ついた全ての人々へ明日を生きていくエールを伝えようとしている、そんな力を込めた作品だと感じました。



『魔女の宅急便』へのオマージュ

見初めてすぐに感じたのは
「魔女宅感」でした。

『魔女の宅急便』は言わずと知れたジブリ作品。


未熟な魔法使い見習いの女の子が、人との触れ合いによって一歩ずつ立派な魔女への階段を登っていくような成長物語です。

新海監督が挑みたかったのが「主人公の少女の成長物語」だということが推測できます。

少し調べてみたら新海監督が「魔女宅へのオマージュ」と語っているそうですね!

さてここからは私独自の考察を展開します!

この映画のメインのテーマに忍ばせたと思われる裏テーマ?を深掘りします。

あくまで考察です!!少し妄想や願望?も入ってます!
さあ!付いて来てください笑


リアルな警報音や地震描写を繰り返し使った理由について



まだこの映画を見る前に、警報音などが多く出てくる為の注意喚起がある事や、ほかにも「賛否両論」「問題作」など、少しネガティブに感じる意見も目にしました。


今映画を一度見た私の個人的な見解ですが、
確かに地震に関する描写が何度もあり、効果音も相まってかなりリアルなのでショックを受ける方は少なからずいると思います。

ですが、リアルな描写を繰り返し使った理由がちゃんとあって、
それは、

新海監督がバッシングを受けてでもトライしたかった「映画の力」を新しい形で示そうとした結果ではないかな、なんて個人的には思っています。

基本エモりたがりなので笑 詳しくは後述します。



あらすじと、この映画の「深すぎる裏テーマ」


この映画はまず何と言っても東北大震災を扱ったデリケートな作品。

メインテーマとしては、

地震大国日本。

かつて賑わった場所が廃墟となることで「後ろ戸」と言う扉が出現し、なんらかの理由によってその扉が開いてしまう事で大地震が起こると言う設定です。


その大地震を、震災で心に傷を負った主人公のすずめが「閉じ師」の青年とタッグを組んで旅をしながら未然に防いでゆき、

最後には大地震から日本を救う….と言うのがメインテーマかと思います。


日本古来の神話?を引用しリアルな地名や設定が出てくるので、その辺りの歴史などを深掘りされている方も多いようです。


でもこの映画をみて数日経った今、
私はこのメインテーマに忍ばされた裏のテーマのようなものがずっしりと胸に迫って来ていて、
改めてこの作品は日本の映画史上、特別な存在になるであろうと感じています。

それについて書かずには居いられない、という思いで今この記事を書いています。
それがこの映画の真に伝えたかったテーマではないか?と思うからです。


映画は主人公の少女すずめが、遠い過去に胸の奥底に仕舞い込んだ記憶?のような場面から始まります。

大震災で看護師だった母を失った主人公のすずめは当時4歳。

母の妹である叔母(当時27歳くらい?)に引き取られ、高校2年生の現在まで九州で育ちます。


高校2年(約17歳)という年齢は大人と子供のちょうど入り混じった時期。

まだ子供でいることを許されるけど、
大人になる準備もしなければならない頃です。

すずめ自身気づいてはいないけど、
やはりどこか生きる手応えを感じられず生きています。

散らかった部屋、叔母の愛の詰まったキャラ弁を素直に喜べない…など、

得体の知れないモヤモヤが晴れない、でも一見穏やかな淡々とした日々です。



震災に限らず、幼くして親を失った孤児達はその存在が既に十分守られるべき存在で「可哀想な弱者」として扱われがちです。

そして本人が与り知らないところで、その「弱さ」が周りにいる人達をコントロールしてしまうのです。

そんな弱さ(子供)から脱却し、自分も周りの人も解放するには、
本人が「自立」するしかありません。


自立とは経済的にというだけの意味ではなく、
「私は大丈夫」と心から笑顔で言えるようになる事、
過去に閉じこめた自分と向き合い、自ら一歩踏み出して行く、
怖くても外の世界をその一員として歩いて行く、それが「自立」の本来の意味です。

話は少しそれますが、
アドラー心理学の研究者 岸見一郎さん(共著 古賀史健さん)が「幸せになる勇気」という著書の中で
幸せになる為の方法があり、要約するとそれは

「自立する事である」と書かれています。


そして幸せになるためには、
それに立ち向かう「勇気」が必要で、


つまり”幸せになる勇気”を持って「行動」する事が必要なのだと。


トラウマに立ち向かえるのは、自分自身の行動によってのみと言う事です。

決して簡単な事ではありませんが、でもだからこそ、

その勇気を持てた者だけが、幸せへの旅路のスタートラインに立てるのです。

すずめは半ば強制的にその旅へ駆り出されます。

頼れるはずの人は椅子になっちゃったので笑 

実質、”幸せへの勇気を持たざるを得なくなった1人旅”に出るハメになるわけです。


ずばりこの映画の裏テーマは、
「トラウマに立ち向かい、本当に幸せになるための旅路」だと思いました。



リアルな地震描写を敢えて使った事についての私の考察


さて先にも書きましたが新海監督は何故、あえてバッシングを覚悟してまでリアルな震災の描写にこだわったのでしょうか?

私はこのテーマの裏テーマとして「トラウマを克服する旅」を先程あげましたが、

人は大小に関わらず、一つや二つはトラウマを抱えているものだと思います。

大切な人を亡くしたりひどい恐怖に晒され経験を持つ人はもちろん、
幼い頃の一見些細な辛い思いや恥ずかしい思いもやはりトラウマとなり、

胸の奥底でいつまでも人の行動を制限したりコントロールし続けます。



そんな人生における障害物のようなトラウマを克服する心理療法に
「エクスポージャー(暴露)療法」というのがあります。

エクスポージャー療法とは、
不安の原因になる刺激に段階的に触れることで不安を消していく方法。
主に不安症やPTSD、強迫症に用いられる。

厚生労働省e-ヘルスネット


何度も地震の描写を入れたり、
リアルな地震警報の音やシーンを繰り返し使った事はこの療法のような効果を狙ったのではないか?

リアルな描写じゃなきゃいけなかった理由が、それなら合点がいきます。

そしてそれを繰り返す必要があったのです。

そして、もう一つ劇中に何度も繰り返されたものがありました。

それは、

旅の途中で、

廃墟の「後ろ戸」が開く→ 
閉じ師の草太と力を合わせて「後ろ戸」を閉じる。

というくだり。

これが数回繰り返されます。

「このくだり、多すぎない?」とレビューしてる方もいました。

でも、これにも理由があると私は考えています。


すずめは、地震を食い止める使命を背負った旅の中で、
何度も赤の他人から助けられます。

そして何度も「後ろ戸」を締める事に成功し、
その手で大地震を未然に防いでゆきます。


その輝かしい記憶によって、
辛い震災の記憶を新たな暖かな絆の記憶へと上書きしていく。

辛い記憶であればあるほど、それにすげ替えられるような素敵な体験を、
何度も繰り返す必要があったのです。


そうして行くうちに、閉じ師の青年(イケメン)との信頼関係も深まって徐々に惹かれていきます。

辛い記憶を良い記憶で上書きする事は、一般的にもよく行われる事です。


すずめのトラウマは、
旅で起こるこのような素敵な体験や色んな人達との関わりや出来事の中で、
いつの間にか少しずつ、

癒されて行ったのだと思います。


そして実は、
映画を見ている私達に対しても少なからずそのような効果をもたらそうとして作られたのではないのか?と私は感じるのです。


それがこの映画が、映画史上特別な存在になるだろう、と述べた理由です。

リアルな震災の描写を繰り返し使った理由についても、

もちろん震災の爪痕もいまだ残っており、
なかった事になんてできないけれど、

それでも明日を生きていかなきゃいけない。


影響力のある新海監督だからこそ、
バッシングを覚悟の上で

 ”日本のトラウマの鎮魂” 

に一肌脱ごうと考えたのではないか?!


もしそうなら…とても素敵です!

「映画の底力」を見せられた気分です!!涙


そして、さらに物語は深いところに踏み込んでいきます。

子猫の「ダイジン」の正体


劇中で
「後ろ戸の結界の神の化身」と呼ばれていた子猫のダイジン。


でも、
(持論展開はここでも続きます!)


この化身は確かに神様なんだけど…もう少し具体的には、

「すずめが過去に閉じ込めたもう1人の自分」みたいな存在のように思えるのです。

インナーチャイルドが具現化した感じと言うか。

インナーチャイルドとは、一言で言えば、

子供の頃に心に傷を負う事で生まれる、
自分の中にある癒されない子供の部分、みたいな感じです。
(詳しく知りたい方は是非ググってみてください!)

すずめの心の中には、鍵をかけた開かずの扉があり、

そこに封印してずっと見ようともしなかった一人ぼっちの存在がいます。


ワタシを見て!
もっと可愛がって..もっと遊んでよ..寂しいよ…
遊んでくれなきゃいたずらしちゃうから! 

みたいな幼い無邪気で甘えたい盛りのすずめちゃんです。


4歳の子供の頃のすずめが、悲しみから逃れるために心を切り離し、
忘れようとした。

きっとそうせざるを得なかった。

悲しい思い出だけじゃなく、
お母さんに甘えたり無邪気に振る舞う事、わがままを言って周りを困らせたりすることも、
一緒に封印したのだと思うのです。

ダイジンは要石、つまり結界です。

17年間、すずめが触れずにいた、
「辛さに耐えきれず切り離した心」が心の中の開かずの扉(結界)に封じられていました。


”本当のすずめ”は結界に封じられたまま、入れ物の肉体だけが17歳になったのです。


その結界に封じられた「本来の無邪気なすずめ」が、

17歳のすずめ本人によって解かれ←これがダイジンであり、

本当の心と身体が一つになる”旅”(トラウマからの脱却)へと導いている…とそんな風に感じました。

実際、ダイジンはすずめと草太を弄んでいるかのようで、

実はすずめを「ある場所」に導いていた事が最後にわかります。


すずめは4歳の時、17歳のすずめに出会い、
そこで「大丈夫」と言われたから生きてこれたわけで、

結局全ては、「あの日の自分を救うための旅」だったのです。



すずめは日本を大地震から救ったと同時に、
過去の自分の事も救ったのです。


「過去の子供の頃の自分を救う(癒す)」というのは、

インナーチャイルドを癒して行く手法(療法)の過程の一つであり、

その辺りは少なからず意図して描かれたのではないかと考えています。

過去に起こってしまった出来事はもう変えることができません。


でも自分の中に存在し続ける傷ついた子供の頃の記憶や悲しみに、

自分だけがそこへ行ってそっと寄り添ってあげることができるのです。



3.11を扱った作品としての責任



表向きには大災害から日本を救う、という「君の名は。」に通ずるようなところがありますが(あれはあれで素晴らしかったけど)


「すずめの戸締り」は、新海監督の過去作品とは比べものにならないくらい深いテーマを含んでおり、

日本国民のトラウマである3.11を題材として扱った作品の重たすぎる責任を、見事に果たしているなと感じました。



これが私がこの映画の裏テーマとして感じた部分です。
如何でしたでしょうか?

個人的には当たらずとも遠からず、と思っているのですが!

実はもっと書きたいことがあるのですが、
見落としもあるような気もしていて….
2度目を見た後で描きたいと思っています。

次回のチラ見せ↓


・「閉じ師」草太の心の闇について
・ 何故すずめと草太にだけミミズが見えたのか?
・ サダイジンの正体とは?


一体どれだけの深いテーマを詰め込んであるのでしょうか?この映画!!涙


2回目を見るのが今から楽しみです!

ここまでお付き合いありがとうございました!
次回も是非お付き合い頂けますと嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

『すずめの戸締り』2回目視聴後の考察、
その2はこちらからお読み頂けます!↓


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