さよなら、ひとりひとりが地球のためにコツコツ教

いや、大事なんですよ。ひとりひとりがコツコツやるのも。持続可能な社会って、どこかの企業のすっごいイノベーションや華麗な経歴の皆さんが作った素晴らしい目標や制度で一発逆転できるものでも、生贄を天に捧げれば実現できるものでもありませんから。ひとりひとりの主体的かつ継続的な取り組み、大事です。そうなんですが、環境やサステナビリティを語る際の常套句「ひとつひとつは小さくても、私たちひとりひとりがコツコツ続けることが大事です」はもはやメール末尾の「何卒よろしくお願いいたします」くらい形式化しています。これはもうやめませんか、という話です。

これは私だけが思っていることではありません。ある若手研究員に、サステナビリティのために個人ができることに関する寄稿の依頼がありました。初稿を見て私はびっくり、冒頭の一文を除いて「個人でできることなんて小さすぎて今の危機的状況には意味がない。レジ袋を使わないくらいで良いことしてると思ったら大間違いだ」で一貫しており、私は大爆笑しましたが本人は大真面目でした。10往復くらいして、結局「みんなでやるともっとよくなるよ💛」というトーンでまとめることで無事合意して世に出ましたが、彼は、この国のレジ袋有料化を今どんな気持ちで受け止めているのでしょうか(仕事で海外に行ってしまいました)。

個人の生活を切り口に、社会システムをいかにサステナブルに変えるかという研究をしている皆さんも「個人の生活って言った瞬間に、こまめに電気を消そうみたいな話として受け取られる……」と口をそろえておりました。これはなぜなのでしょうか? 私は理由は2つだと考えています。

1.   身近で「簡単に」できる解決策がメディアや教育でも求められがち
2.   
身近で「簡単に」できることとして省エネが連想されがち

私たちにできることとして、企業や行政、社会システムへの働きかけってまず上がってこないし、デモにせよ企業への提言にせよ政治にせよ、そういう動きをするとわりと特殊な目で見られがちな部分はありますよね、ジャパン。持続可能な社会のために投票に行こうとはならないニュージーランドにでも行けよって言われるかもしれない

余談ですが、かの国ではつい先日も主要産業である畜産と地球温暖化対策をどうバランスさせるかについて首相候補(当時)がテレビ討論していたそうで、これが地球にある国なのかと火星人のような気持ちで見ていました。

で、話を戻すと、自己肯定感や自己満足が得られないと続かないのは事実ですが、それだけだと客観的成果は何もないに等しいのも事実なんですよね。じゃあどうすればいいの、というあなたには国立環境研究所の江守先生の動画をぜひご覧いただきたい。見て、タイトルからして超直球ですよ!

私がnoteを始めるにあたってもこちらの動画に背中を押されました。そういうわけで(形式的な意味ではなく)何卒よろしくお願いいたします。

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