見出し画像

夫の変化と、家族の変化

◆行きたいから行く、食べたいから食べる 〜夫の選択の変化〜


ある日夫から「行きたいって、今思うから行ってくる」と言ってきたことがあった。 それまでは、なんとなくこっち、まぁこれでいいか、りえちゃんが言うからじゃあそれ、とか。確かに誰でも「まぁいいか」「なんとなく」ということはあると思う。しかし本当の心の奥では別のことを望んでいるときには、自分の気持ちを優先したほうがいい。優先しなさい。流されてもいいときもある、しかし、流されてはいけないという時もある。 夫は「今日行きたいと思うから行ってくる」「今日これ食べたいから食べてくる」と、積極的に言ってくるようになった。だから、行きたくない時は行かないし、食べたくない時は無理に付き合わなくなった。私に合わせなくなった。

大阪に行った時、伊丹空港行きのバスが来るまでの30分時間があった。その時間で何をするか?家族で話になった。夫が「あべのハルカスに行きたい」と言ってきた。バス停はあべのハルカスの近くにあった。私はビルを見上げ、「こんな短い時間で行くのは嫌だ」と言った。だったら私は本屋に行きたい。息子は「ぼくも本屋さん行きたい」と言った。夫はしばらく黙る、二人が行かないなら行くのやめる・・・と言った。(三人で行きたい気持ちがあった)私は言った「短い時間だとゆっくり見れないし、焦るから私はいや。また次来た時でいい。本当に行きたいなら行ってきたほうがいい。たとえ短い時間でも、行きたいなら途中まで行って戻ってきてもいい。自分の気持ちはなんと言っているの?」・・・・「やっぱり行ってくる、じゃぁ30分後に」と言って、私たちは別れた。
30分後、戻ってきた夫は、とても満足そうな表情をしていた。すごく印象的な出来事にだった。もし私たちに付き合って本屋に来ていたら、きっとこんなふうに思っていなかったんだろうな。時間がなくて結局途中で戻ってきたらしいけど、「どこどこまで行って何を見て、とても楽しそうに話をしていた。自分の気持ちを自分で満たしてあげる。それってすごく大切なことだと思う。


教え方が上手いのは、夫。


◆子どもの存在に救われた


塞ぎ込んだ生活に彩りを加えていたのは、間違いなく「子ども」だった。子どもの存在が私たちを前を向かせ、そして「希望」を与えてくれていた。もしこの子がいなかったら私たちどうしていたんだろうね・・・って時々夫と話すことがある。子ども存在はめちゃくちゃ大きかった。「なんか、育休とってるみたいだね」なんて療養中に笑い話したこともあった。乳幼児期の大切なときを、息子の初めてを、共に夫と二人で見守れたこと、ある意味私たちはとても幸運だったと思う。初めて立った、初めて食べた、初めてしゃべた、ほかのお父さんが経験できないであろうことをこの人はいっぱい経験しているんだなと思った。そして、濃密な父子関係が築かれていることは、言うまでもない。夫の子育ての関わり、子どもへの関わりは、毎回子どもとの接し方にテーマや課題持って取り組んでいるし、私にもアドバイスしてくるほど。客観的に見て、この言い方はこれに変えた方がいい、この関わり方はもっとこうした方がいいと、私へもアドバイスをしてくる。夫婦で共通の子育ての認識を持つように努めるようになったのも、夫の子育ての関わりが深かったことにもある。最近、夫から「お母さんは(妻には)笑っていて欲しい。何もできなくてもお母さんが笑っているだけでいい、僕たちは救われる。僕たちの太陽だから!」と。数日前に息子からも似たような言葉をもらい、ハッさせられ反省し、もっと力抜こ〜う!とおもった。


君の存在にどれだけ救われたことか。
ありがとう…



◆うつにいるならうつを味わい尽くす

「うつの時は、うつのままでいなさい。ただ、鬱になっていなさい。自分の鬱で鬱になってはいけない。鬱になったら、ただ鬱になっているがいい。それと闘ってはいけない。気分を変えようとしてはいけない。それが起こるのをただ許すがいい、それはおのずと去っていく。」

OSHO   Japanese


5年経った今でも、夫は薬を服用中です、時々ものすごく不安に襲われてるときも、たまにありますね。それって別に鬱じゃなくてもあることで。わたしだってあります。誰にでもあること。夫は前よりも、自分の状態や心の状況を客観的に俯瞰して、その時どうすればいいのか、何かできることを見つけて、ちゃんと動けるようになっているのは大きな変化。冷たく聞こえるかもしれないが、夫がうつとか眠れないとかどうでもよくなった。夫の人生と私の人生は別である。「へぇ、今そういう状態なのね」と見守っている。うんうん、と話に耳を傾けている。
そしてこの3年後くらいに夫婦で「7つの習慣」と出会うことになる。この経験は、7つの習慣に出会う前の話でしたが、のちに書籍通してあの時のこと深く考えて、こうして文章にしたり、言葉にすることにまで、出来るようになった。
長い長い文章にもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございます! 感謝🍀


最後まで読んで頂きありがとうございます!