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デモに抵抗がある人間だったけど、Black Lives Matterデモに参加してきた

(撮影:森田友希)

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2020年6月14日の日曜日、代々木イベントプラザから原宿〜渋谷間を一巡する、人種差別に対する抗議デモ、通称「Black Lives Matter」デモが行われた。アメリカ・ミネソタ州で起こった警官による黒人男性、ジョージフロイドさんの殺害に端を発する運動で、米国を中心に世界中でその波が広がっている。

友人に誘われデモの存在を知った私は、テレビでアメリカの様子を見てからずっと感じていたモヤモヤを抱えながらも参加を決意した。そのモヤモヤが何なのかについては後述する。

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当日は6月らしく小雨が降っていた。蒸し暑く汗ばむような気温だったが、会場には私の予想を遥かに超える大勢の人が、段ボールに手書きのプラカードを手に集まっていた。

「黒人の命も大切」、「公正がなければ平和はない」、「差別は無知から生まれる」、「人種差別は日本でも起きている」、「対岸の火事ではない」(実際にアメリカは太平洋を挟んだ対岸の国なので、これは言い得て妙というところ)等々…。様々なメッセージが人々の頭上に掲げられている。

その中で最も印象的だったのは、殺害されたジョージ・フロイドさんが死の間際まで口にしていた「I can’t breathe (息ができない)」という言葉であった。
ふと、「あなたたちの写真を撮らせて!」と、声をかけてくれた女性のマスクを見ると、そこにもその言葉が記されている。

新型コロナ感染対策のため、私もマスクを着用していたが、ムッとする湿度の中で他意なく「息ができない」と口にしてしまった。その直後、ここではそれが別の意味を持つことに気が付き、ひやりと背筋が凍る思いをした。

デモの参加者は、見る限り若い方が多く、人種は様々で、日本語も英語もそうでない言葉も耳に入ってきた。
皆デモが始まる前は和やかに談笑しており、私が抱いていた、デモの参加者は総じてピリピリとしたムードに包まれているというイメージは間違いだったことが分かる。

友人いわく、これは平和のためのマーチなのだそうだ。

正直に言って、こういった運動に参加するのが全く初めての私には、その定義も存在意義も、はっきりとは理解できずにいた。
ただ、人種差別に反対だという自分の立場は断言することができる。

私自身、ドイツの小さな町に1年間留学のため滞在した経験があり、ヨーロッパの片田舎では珍しいアジア人として、好奇の目で見られることが多々あった。

寿司はよく食べるのか、漫画は何が好きかと聞かれるのは日常茶飯事で、酷い時には、変態文化の盛んな国に生まれた日本人女性は性的なことに強い関心があるのだろうと、ほぼ初対面に近い相手に言われたこともあった。

外見や話す言葉で他者をカテゴリー分けして、思い込みで物を言うようなことは、教育や報道が正しく人々を導けば起こらずに済むことだと思っている。
人種差別とは、他者をよく知りもせず、知ろうともせず、見た目や憶測だけで判断することだろう。

黒人だから足が早いんだろうと言うのも、アメリカ人だからハンバーガーが好きなんだろうと見なすのも、れっきとした差別である。
たとえ褒めたい・喜ばせたいと思って出てきた言葉でも、決め付けで物を言えば、相手を複雑な気持ちにすることは、あまり知られていないかもしれない。

そういった誤解から生まれるすれ違いが、日々国際的になっていく社会の中で少なくなるためにはどうすればいいのだろうか。

確かに人目の付く場所でデモを行い、問題を広く周知させることは、ひとつの解決策なのかもしれない。

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しかしながら、先に述べたように、私はデモに参加することに対してモヤモヤとした気持ちを抱えていた。なぜそういった心境だったのか、過去の出来事を思い出してみる。

もう10年ほど前、韓国・ソウルへ家族で訪れた。
K-popが日本で流行り始めた頃で、私も日々、テレビから流れる甘いマスクの韓流スターたちのキラキラしたパフォーマンスを観ていた。
直に韓流文化を体験しよう、と隣国に足を運ぶのは、とても素晴らしいアイデアだった。

旅の最中、ふと道で大きな横断幕を掲げた群衆を目にする。メガフォンを通し何かをしきりに訴えている人々の間には、ただならぬ緊迫した雰囲気が漂っていた。

何に対する運動だったのか、言葉の分からない私には理解出来なかったが、敵対する日韓の情勢を知っていた私は、その群衆の側を通ることに対し恐怖を覚えた。
もしもこれが政治的な運動で、日本に関係することならば、日本人だと分からないように日本語を話さず通り過ぎなければと咄嗟に思ったのである。

その出来事から、同じような感情を日本に住む韓国人も抱えることがあるかもしれない、と不安に思った。

私のモヤモヤの理由はこれであった。

抗議運動によって、ある枠組みに属していると見なされた個人が何らかの攻撃をされたり、不利な立場に置かれる場合がある。

人々が興奮するにつれ、暴力的な行動は増えかねない。冷静さを失い他者に危害を加える光景は目を覆いたくなるものだ。過激なデモについての報道を見るたび、その危惧は大きくなっていった。

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BLMデモの行進の中から、道ゆく人々の表情を見ることができた。
ポカンとした表情でこちらを眺めていたタクシー運転手、すれ違いざまに拳を上げて応援の意を表してくれたカップル、こちらを見もせず通り過ぎていく人々。

彼らはこのデモを目にしたことで、この運動が、「特定の人種が社会的に不平等な扱いをされる制度を撤廃するための運動」と、果たして理解してくれるだろうか。 

これは、黒人を悲劇の対象にする運動でも、白人を悪人に仕立てる運動でも、その他の人種を無知だと馬鹿にする運動でもない。

米国でも、これは白人と黒人の「争い」ではなく、人種差別を無くすための「運動」である、という声が挙がっている。その通りである。
過熱する暴動のため、パニックに陥った人々がある特定の人々を悪とみなし、対立を深めるようなことがあってはならない。

デモは敵を作る場所ではない。デモはヘイトスピーチではなく、平和のためのマーチでなくてはならない。

今まで受けてきた迫害や差別の怒りをぶつけるのは妥当なことだと言う人もいる。どうしようもない絶望的な状態に陥っていたのだろう。その人々を否定しているわけではない。だが、この怒りの連鎖、堂々巡りを終わらせるには一体どうすれば良いのだろうか。

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私が人生で初めて、アフリカ系の人と知り合った時、彼女の大ぶりのアクセサリーと丸刈りの頭を、はっとした気持ちで見た。彼女を含め数人で一緒にお茶を飲んで、当時流行っていたジャスティンビーバーのセクシーなMVを見た。私があたふたとしていたら、「シャイだねえ」と微笑まれたのを覚えている。

初めて目の青い人を見たときもはっとした。目の色は人によって違うことを、私は海外に行くまで知らずにいた。髪の色にも人それぞれ少しずつ違いがあることもそのとき知った。まじまじと瞳を見る私を受け入れてくれた友人は、心の広い人だった。

中東から来たクラスメイトと仲良くなったことがあった。褐色の肌に髭をたくわえいつも爽やかに笑っていた。よく煙草を吸っていて、ときどき神様にお祈りをする話をしてくれた。彼の信じる神は、彼にとって本当に尊い存在なのだと学ぶ経験になった。

日本で起きている差別の中には、海外から来る人々と接する機会が少ないが故に、先入観に満ちた発言をしてしまう場合が数多くあると感じる。余所者として線を引き、別のコミュニティーの者として扱うのだ。

未知の物に対する憧れや、恐れや、偏った価値観は、対象と触れ合って少しずつ理解していける。誰しも傷つけ合ったり悩み合いながら分からなかったことを学ぶのだろう。大事なのは、相手をきちんと尊重できるかどうかである。

相手の文化について、わからないことがあれば知ったふりせずに話を聞く。もし相手が自分の外見を揶揄したり文化的バックグラウンドに対して勘違いした発言をしたらそれはきちんと指摘する。

人と人の間に絶対的な上下関係なんて存在しない。尊重し合えない関係は毒でしかないから逃げるべきである。それで相手が学ぶこともあるかもしれない。

人種差別なくなれ、ではおそらく人種差別はなくならない。実際に自分とは異なる立場の人と話してみれば、おそらく多少は理解は進む。良いことも嫌なことも起こりうる。どんな人間関係もそうであるように。

私自身も、まだまだ無意識のうちに差別を行なっているかもしれない。どうぞ早く自分の間違いに気がつくことができますように。

そして、どうか人種や国籍や話す言葉で人をカテゴリー分けして、違うもののように扱う人が少なくなりますように。話したこともない人を、一瞥しただけで判断したつもりになる人たちが減りますように。

静かで礼儀正しく、小さな日本人の皆様方。なんて、そんな単純なものではないように。


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