【あらすじ】傲慢と善良 読書記録19
傲慢と善良
辻村深月
「人生で一番刺さった小説」と題されるだけあって、刺さりシーンがたくさんあった。
田舎出身の人間であれば多くの人が一度は考えたことがあるだろう、「都会に上京する」問題。
田舎で生まれ、その地元で育ち、地元で就職して、地元で結婚する。
生を受けてから最期まで、物理的にも限られた「地元」という世界で生きる。
自分の周りにもそんな人はたくさんいる。
しかし、この選択に自分自身の意思は少しでも関与しているだろうか。
自分の意志で地元に残る、自分の意志で上京する、親の意向で地元に残る、親の意向で上京する。
いろんなパターンがあるが、前者2つに該当する、「自分の意志」について深く考えさせられる内容である。
必ずしも地元を離れ、上京することが正解だとは思わないが、その決断は"親の意向"、もしくは”なんとなく”とかではないだろうか。
「責任感」というものは時に傲慢な感情と化す。
親から見た、子育てにおける責任とはどこまでを指すのか。
「大学を卒業するまでは親の責任」
「結婚するまではちゃんと面倒を見なきゃ」
各家庭によって、また保護者の価値観によってこのあたりの線引きというものも変わる。
でもこれらは親による「責任感」から来ているものであり、逆説的に言うと、「大学を卒業するまではすべて親の意向を優先して生きていく」、「結婚するまではすべて親の喜ぶ選択肢を選んでいく」となり、この態度は子供から見ると親の傲慢であると言えないだろうか。
生んでもらって、育ててもらって偉そうなことを言っているような気もするが、上記の2例で考えると、僕は傲慢であると感じる。
結婚するまで親の意向をすべて受け入れて育った人間はとても善良な人間に育つ。
善良という言葉は「良い言葉」として使われるが、善良な人間は必ずしも幸せに人生を送ることができるとは限らない。
悪さを働いたこともなければ、他人の悪口を言うこともない。
嘘をついたこともなければ、門限を破ることもない。
「上京したい」と言い出すこともなければ、親が反対する交際相手と結婚したいと言い出すこともない。
幸せに生きていくためには、つくべき嘘もあるし破るべきルールもある。
親の意向を受け入れ、善良に生きることは何を生むのだろうか。
好きな時間に好きな場所から、ほぼすべての人間が瞬時に”正解”を手に入れることができるようになったこの世界を生きる人間に、必要な資質能力とは一体何だろうか。
宮崎駿作、映画「君たちはどう生きるか」が凄まじい興行収入を記録しているようだが、まさしく、「君たちはどう生きるか」である。
映画の内容に意味はなく、「君たちはどう生きるか」という現代社会に対するメッセージのみを、宮崎駿監督が世の中にぶちまけたかったという説を僕は信じている。
”なんとなく”や”他人の意向で”という決断に、もう一度立ち止まって考える、そんな一冊になるであろう「傲慢と善良」。
気になった方は、ぜひ。
〇読書記録
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