すべてのものは神から出る(2)(第二説教集17章1部試訳2) #168
原題:An Homily for the Days of Rogation Week. That all good things cometh from God. (祈願節週間のための説教~あらゆる善きものは神より出る)
※第1部の試訳は2回に分けてお届けします。その2回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です)
(9分3秒付近から17分1秒付近まで):
私たちは神の中に生き、存在する
かの聖なる預言者イザヤがこのように記しています。主よ、「あなたは私たちのためにすべての業を成し遂げてくださいました(イザ26・12)。」また、聖パウロは全能の神の誉れを奪う判事や偽善者に対抗してこの事柄の真を支持してそれを自身に銘ずべくこのように述べています。「何事かを自分のしたことと考える資格は、私たちにはありません。私たちの資格は神からのものです(二コリ3・5)。」「私たちは神の中に生き、動き、存在しているからです(使17・28)。」この世の生において絶えず全能の神に対して献げてきた賜物であるいけにえを人間がどこにみていたかをみなさんがさらに知りたければ、ダビデの「私たちは御手から受け取って、差し出したにすぎません(歴上29・14)」という言葉をみなければならないでしょう。目に見えるみ恵みも魂において受けたみ恵みも、神の善性からのみ来たということをこの聖なる預言者は強く告白しています。あらゆる善なるものが全能の神から来ていることを証ししようとするとして、ほかにどんな言葉が必要であるというのでしょうか。あらゆる霊的な善性が天上にある神からのみ来ていても、目に見える善なるものは必然的に、あるいはわたしたちが言うところの運命によって、神ではないところから来ていると考えるのが正しいのでしょうか。神は魂にあらゆる力を与えられているのでしょうか。肉体の賜物はあるままに、神ではない他の何ものからかやって来ているのでしょうか。神がさらに多くのことをなさるとするなら、神はもっと少なくなさることもあるというのでしょうか。聖アウグスティヌスは「罪人を正しい者とし、邪な者から義のある者へと新しく生まれ変わらせるのは、すでに創られている天と地を新しく作り変えることよりもすばらしいみ業である」と述べています。わたしたちは自分たちの中にある善いものはどれも、必然的にでも運命によってでも、み恵みによって、唯一の著者であり造り手である神のみによってあると考えるべきです。
神はいまもこの世を保たれ統べられる
しかし、造船で言えば船を造って船員たちに引き渡してそれでよしとし、その後に何の手も加えないでいるごとく、神がこの世をいまあるように創られて、そこに何の責任も持たれず、わたしたちの知恵や工夫に任せるべく手放されたとは考えられません。神はいまだ善性をもってこの世を保たれ、お創りになったときのままにされておられます。神の特段の善性がなければ、この世界が創られたままの状態で長く存在するなどありえません。聖パウロが言うとおり、神は万物がみ力を受けずにもとあったような無に再び堕してしまわないように、万物を保たれてみ言葉をもって支えておられます(ヘブ1・3)。もし神の特段の善性がいたるところに存在するということがなければ、あらゆる被造物は秩序を失い、何物もはじめに創られたままの均整を持てはしません。神はいたるところに、またすべての被造物の内に目には見えずとも存在されており、ご自身の存在によって天と地を満たしておられます。火にあって熱をもたらし、水にあって潤いをもたらし、土にあって果実をもたらし、心にあって力をもたらされます。そうです、わたしたちのパンや飲み物にも神はおられます。そこに神がおられなければ、パンも飲み物もまた薬草も栄養を持ちません。
み言葉によって世は保たれ統べられる
かの賢者はこのように述べています。「主よ、それは人を養うのはもろもろの実りではなく、あなたを信じる人を守るのは、あなたの言葉であることを、あなたの愛される子らが学ぶためであった(知16・26)。」モーセも考えを同じくしており、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる(申8・3)」と語っています。かの賢者も「主よ、彼らの傷を治したのは、薬草や塗り薬ではなく、すべてを癒やすあなたの言葉であった(知16・12)」と述べています。効能をもたらすのは被造物の力ではなく、そのなかで働く神の善性です。まさに神のみ言葉の中に万物があります。そのみ言葉によって天と地が創られたのですし、そのみ言葉によって天と地は形を整えられ、保たれ、秩序を与えられています。聖パウロが言うように、全能の神がみ力を注ぐのを止められ、その滅びを宣言なさるまで存在するものであるのです(二ペト3・7)。もしそうでないのなら、つまり神の善性が被造物に都合よく働いてそれを統べてだけいるのなら、どうして大海が荒れ狂って大地を呑み込むことがあり得たり、水陸の境界や堤防の向こうで収まっていたりということがあるのでしょうか。かのヨブはこの点にかかわって神の善性に思いを致し、もし神が大地を保たれる特段の善性をお持ちでないのなら、大地は海に呑み込まれてしまうだろうと語っています(ヨブ28・11)。
四元素も鳥獣も神によって統べられる
また、対照的なものとしてあるさまざまの元素をなじませることが神の善性のみによるのではないとするなら、どうして破壊し合うことなしにそれらが調和して存在し、わたしたちの日用に役立っているのでしょうか。火はこの球体のなかでじっとしないで思うがままに燃え広がり被造物すべてを焼き尽くして滅ぼすこともできますが、神の善性があるからそうならないのではないしょうか。どっしりとしている土の大いなる実体について考えましょう。わたしたちは土の上を歩くのにも値しないとされていますが、神の善性があるから土は確固としてあるがままに存在するのではないでしょうか。「主は地をその基の上に据え、代々とこしえに揺らぐことのないようにされた(詩104・5)」とダビデは述べています。人間の力をはるかに凌ぐ大きな力を持っている獣や魚について考えましょう。それはどれほどに力があって獰猛であることでしょう。しかし神の善性によって、それらはわたしたちを襲いはせず、むしろわたしたちに従属してわたしたちの思うようにあるのです。発明は誰から出てわたしたちの意のままとなり、わたしたちの利益に沿うものとなっているのでしょうか。人間の脳から出ているのでしょうか。そうではありません。発明は神の善性から出たものです。神の善性が人間の理解力に働きかけてあらゆるものに神の目的を持たせているのです。ヨブは「誰が鴇に知恵を授け、誰が雄鶏に分別を与えたのか(ヨブ38・36)」と言っています。また、「だが、人の中に知恵の霊はあるが、人に悟りを与えるのは全能者の息なのだ(同32・8)」とも述べています。
神に感謝を向ければ神の善性に与る
善良なるキリスト教徒たちよ、全能の神の善性は人間の内にあります。そうして人間は知恵や学識を持ち、意図して神の被造物すべての本性や性質を知ることができます。新たに造られたもので十分に必要を満たし、さらには必要を満たすに止まらず、楽しみや喜びを満たそうとするゆえに、そもそも知恵の足りない人間でも学問や技芸によってさまざまのものを数多く発明することができています。わたしたちが神に感謝を向ける心を持てば、神の善性はわたしたちに向けられます。かの賢者はよく熟考するなかで、次にわたしが引用して述べることを真とするほかはないだろうとしています。「私たち自身も、私たちの言葉も、あらゆる賢さも、私たちがなす業の知識も神の手の中にある。存在するものについての誤りなき知識を神は私に授けられた。宇宙の仕組みと元素の働き、時の始めと終わりと中間と、太陽の至点の交代と季節の移り変わり、都市の周期と辰星の位置、生き物の本性と野獣の気質、もろもろの霊の力と人間の思考、植物の種別と根の効用、およそ隠れたこともあらわなことも私は知った。万物の造り手である知恵が私に教えたからである(知7・16~22)。」
まとめと結びの短い祈り~万物は神に
さらに彼はこうも述べています。「神の御心を知りうる人がいるでしょうか(同9・13)。」「私たちは地上のことでさえ辛うじて推し量り、手中にあることさえ見いだすのに苦労します(同9・16)。」また「死すべき人間の考えは貧弱で、私たちの計画は不確かです(同9・14)。」「あなたが知恵をお与えにならなかったら、天の高みからあなたの聖なる霊を遣わされなかったら、誰が御心を知ることができたでしょうか(同9・17)」とも述べています。このように万物は神によってあるとかの賢者が告白しています。わたしたちはどうしてこのことを理解していないのでしょうか。どうしてそれを理解した上で、自らの務めを神に向け、その善性に対して感謝を献げていないのでしょうか。この理由を明らかにしようとすればここでたくさんの実例が挙げられることでしょう。この世のあらゆる被造物に全能の神の善性はどれほど現れていることでしょうか。その創造において被造物はどれほどに驚くべきでものであり、その秩序はどれほどに美しいことでしょうか。またそれらはわたしたちにとってどれほど必要であることでしょうか。もしこれらにわたしが答えるなら、すべては一つであり、その筆者は全能の神のほかの誰でもないと答えます。神の善性が被造物すべてをあらゆるところで高いものとしているのです。神にすべての誉れと栄えがとこしえにありますように。
今回は第二説教集第17章第1部「すべてのものは神から出る」の試訳2でした。これで第1部を終わります。次回は第2部に入ります。まずは解説をお届けします。最後までお読みいただきありがとうございました。
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