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解説 手で造られたものは呪われる(中編)(第二説教集2章2部) #80

原題: An homily against Peril of Idolatry, and superfluous Decking of Churches. (教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教)


※第1部の解説は3回にわけてお届けしています。今回は2回目です。
※第2章の全体像についてはこちら:

第二説教集第2章第2部解説の2回目、中編です。聖句でいうテーマと第2部のポイントを確認します。

義がなされた木は祝福されるが、手で造られたものは、それ自体とそれを造った者とが呪われる。作者はそれを造ったからであり、その朽ちるものは神と呼ばれたからである。(知恵の書 14章7~8節)

第2部のポイントは次の10点です。今回は③~⑥についてになります。

①第1部の振り返りと第2部の目的
②古代教会の教父らによる偶像崇拝への戒め
③ローマ皇帝による偶像崇拝の禁止
④ローマ帝国の分裂と偶像崇拝の広がり
⑤東ローマ帝国における偶像の排斥
⑥ローマ教皇による偶像の正当化
⑦東ローマ帝国における偶像の正当化
⑧キリスト教界全体での偶像の正当化
⑨偶像の正当化によるキリスト教界の弱体化
⑩まとめと結びの短い祈り


偶像崇拝が世に広がり、信仰の危機を感じたローマ皇帝ウァレンスとテオドシウス1世が勅令を出したことが紹介されます。

「皇帝ウァレンスとテオドシウスは軍の司令官に対し、次のように命令する。(略)石などに彫刻を施したり、彩色を施したりして、救い主キリストの像を掲げることを誰にも許してはならない。」

キリスト教を国教としたローマ帝国で、皇帝によって偶像崇拝が禁止されましたが、やがて蛮族の侵入によって帝国は分裂し、キリスト教それ自体の危機が訪れます。教皇グレゴリウス1世は民衆に絵画をもってキリストの教えを説くことをいわば必要悪と認めるに至ります。

「偶像を造ることを禁止はしないが、どんな偶像にであれ崇拝を向けることは避けられなければならない。」

これがマルセイユの主教セレヌスから非難されたということが詳しく述べられます。これにかかわっては第2部のなかで次のように述べられています。これは偶像崇拝の問題に限らず、世に広く通じる真理です。

そもそもよくないものというのは、許容できる範囲で始まったとしても、しだいに悪くなっていき、ついには許容できないものとなるものとなるものです。

この言葉のとおり、ヨーロッパ世界は次のような状況に陥ります。

はじめに絵画が、ついで細工を施された偶像が教会堂に入り込むようになって、信仰に篤く学識ある人々が非難の声を上げるようになりました。はじめのうちは偶像が教会にあるというだけの状態で保たれていたのですが、やがてなし崩しになり偶像が崇拝されるようになりました。

グレゴリウス1世に端を発して結果的に偶像崇拝が広がっていきますが、東ローマ帝国ではむしろ偶像は排斥されていました。教皇はローマにあって皇帝はコンスタンティノープルにあり、教皇と皇帝の権力の綱引きが行われるなか、構図として、偶像を正当化する西方世界と偶像を否定する東方世界の対立という形になります。

ギリシア世界はラテン世界の偶像の問題を非難し、キリストの教会堂にはそのような偶像の居場所はないのだという声明を出したのですが、一方でラテン世界の教会堂は引き続き偶像を置きました。これにより偶像にかかわっては、もとはといえばそれが邪なものであるという考えで一致していたはずの東方と西方の教会が完全に対立することになり、二度と和解することもなくなってしまいました。

このあたりのいきさつをこの第2部ではローマ教皇(コンスタンティヌスからステファヌス3世まで)と東ローマ皇帝(フィリピコスからコンスタンティヌス6世まで)の名を何人も挙げて説明しています。この解説の前編で「キリスト教史の講義を聴いているようだ」と書きましたが、ここはもはや「西洋史の講義を聴いているようだ」と言わざるを得ません。これを教会の説教のなかで聞かされる人々はどのような気持ちであったかと思わされます。ともあれ、当時の反ローマ、反カトリシズムから、「像崇拝を排斥した東ローマ皇帝」と対照的に「堕落して偶像崇拝に走ったローマ教皇」のありさまを浮き彫りにしています。

これらの出来事は主が生誕された年からおよそ七百六十年の後にあったことです。(略)アジアとギリシアの教会にはほぼ七百年間にわたって偶像が置かれていなかったのです。使徒たちの時代にあった原始教会がきわめて純粋であったということは疑いようもありません。(略)それにひきかえ、みなさんがご承知のとおり、ローマ教会の司教たちは神の御心に適って日常の職務を行っておらず、教区を離れて神の御言葉に逆らって世俗の君主の権威を奪い取っています。(略)このような者たちが教会堂に偶像を持ち込んだ最初の者たちです。このような者たちが教会堂に偶像を置き続ける者たちです。

しかしやがて偶像崇拝は東ローマ帝国内にも広がったことが述べられます。これ以降については次の回にとします。


今回は第二説教集第2章「教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教」の第2部「手で造られたものは呪われる」の解説(中編)でした。次回の投稿はこの解説の後編になります。

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