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解説 心で信じ口で告白する(第二説教集9章) #128

原題:An Homily, wherein is declared that Common Prayer and Sacraments ought to be ministered  in a Tongue that is understood of the Hearers. (公祷と聖奠は人々に馴染みのある言語で行われるべきであることについての説教)

第9章の解説をします。この章は部に分かれていません。聖句でいうテーマとポイントは次のとおりです。

実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。(ローマの信徒への手紙 第10章10節)

第9章のポイントは次の5点です。
①公祷と聖奠の大切さ
②祈りには三つの形がある
③聖奠は二つだけである
④祈りも聖奠も馴染みのある言語で行うべき
⑤まとめと結びの祈り

冒頭で公祷と聖奠が重要であることが断言され、この両者についてのアウグスティヌスの言葉が引用されます。

神の民が行う数多くのことのなかで、どの国家においてもどの時代においても、正しく公祷や聖奠を行うことほど重要なものはありません。

「祈りとは心を捧げることであり、信仰深く慎ましい敬愛をもって神に帰ることであって、その敬愛とは確かな意思と心そのものを強く神に向けることである。」

「秘跡であるとされるものでも確かな形をとっていなければ聖奠とはされない。形があることによって、聖奠はその名が示すとおりのものとなる。」


両者それぞれの何たるかを規定した上で、まずは祈りには三つの形があることを述べます。具体的には私的な祈りが二つともう一つが公祷です。私的な祈りには「絶えず祈る」形と「密かに祈る」形があるとされ、聖書の引用を紹介するにとどめられていますが、公祷については長く詳しく説かれています。このように訴えられてもいます。

教会堂に集って神の深い御慈悲に与るために大勢で祈ることに怠慢であってはなりません。神の御手から善きことを受け取りたいと願って公祷の場に集い、声と心を一つにして、天なる父がわたしたちにとって大切であるとお考えになっているすべてのものを求めましょう。

次に聖奠(sacrament)について述べられます。カトリックでは七つある(洗礼、聖餐、堅信、告解、終油、叙階、聖婚)とされていますが、これを否定し、洗礼と聖餐の二つのみが聖奠である明言されています。

聖奠という言葉の意味するところを正しくとらえ、特に新約聖書にはっきりと書かれてある目に見える徴として、わたしたちの罪の赦しやキリストと一体となるという聖なる約束に結びつけて考えれば、その数は二つでしかありません。それは洗礼と聖餐です。

例えば告解が聖奠とは言えないことについてはこのように述べられています。不可視である神の恵みが可視化された徴となっていないことが理由です。

告解によって罪の赦しの約束が得られると言われてはいます。しかし新約聖書で明確にわかるとおり、これは按手という目に見える徴と結びつけられてはいません。

この第9章では前半のところで祈りと聖奠がどのようなものかが述べられますが、後半ではこの大切な二つのものが会衆にわかる言語で述べられることの重要性が様々な典拠を用いて詳細に説かれます。宗教改革の大きなテーマであるいわば「ラテン語からの解放」が力強く述べられます。そのなかにはこのような痛烈な批判もあります。

公祷も聖奠も人々に馴染みのある言語でなければそもそも行われえません。聖職者が唱える祈りや聖奠を行う際の言葉をそこに集う人々が理解しなくては、人々が教えを受けられるはずがありません。例えば、戦場で吹かれるラッパが心許ない音を出していては誰も戦いの準備をしようと心をかき立てられはしませんし、楽器が音をしっかりと出さなければ誰も何が演奏されているのかを知りようがありません。

聖職者がわたしたちすべての名における祈りを繰り返すあいだ、わたしたちはその聖職者が語る言葉に真摯に耳を傾け、声に出して請い願われる事柄が神の御手に受け取られることを心のなかで願います。そう願っていることを明らかにするべく、聖職者がわたしたちすべての名において行う祈りの最後にわたしたちは「アーメン」と言います。何が語られているかを理解することもなくわたしたちがそうするなどありえません。

これにかかわって聖書からもたくさん引用されますが、最も強く訴える引用がこの二つです。カトリックの聖職者への批判ともみることができます。

「さもなければ、あなたが霊で祝福しても、初心者の立場にある者は、どうしてあなたの感謝に『アーメン』と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません(一コリ14・16~17)。」

「実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです(ロマ10・10)。」

第二説教集の7章から9章までは「祈り」をテーマとして繫がっているようにとらえられますが、最後のこの9章で、痛烈なカトリック批判をしています。結びの祈りをもって第9章は終わります。



今回は第二説教集第9章「心で信じ口で告白する」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするには長いので三回に分けることとします。


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