見出し画像

解説 思い違いをするべからず(第二説教集10章1部) #132

原題:An Information for them which take offence at certain places of the holy Scripture. (聖書の一部に疑いを持つ者たちにかかわる説教)

第10章に入ります。この章は二部に分かれています。まずは第1部の解説です。聖句でいうテーマと第1部のポイントは次のとおりです。

あなたがたは、聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。(マタイによる福音書 第22章29節)

第一部のポイントは次の5点です。
①聖書の恵みは大きい
②聖書の中にキリストの姿をみる
③聖書には理解しにくい箇所がある
④聖書には聖人たちの過ちも書かれている
⑤まとめと結びの短い祈り

冒頭で聖書の恵みの大きさ語られます。恵みはあまりに大きいとした上で、それをサタンが悪用することがあると警告しています。

わたしたちの敵であるサタンは、聖書が神を真に知るに至る正しい道そのものであるということと、キリストの教えが聖書の御言葉を勤勉に聞いて読むことによって深まっていくものであることを知っています。また一方では何がその妨げになるのかも知っていて、聖書を通じて人々を神と御国に向けるようにみせながら、神の教会から離れさせることができてしまいます。

この第10章は聖書を正しく理解することを訴えるものであるのですが、そうしないでいるとサタンの側についてしまうということを冒頭で述べることにより、この章全体のトーンが規定される感があります。これに続けて、

聖パウロは「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもの(二テモ三・一六)」であると言っています。

と述べられていることでそれが強められています。キリストへの信仰を持つならば、人が作った偶像を崇めるのではなく、この神の霊感を受けて書かれた聖書をよく読むべきであるということが説かれます。

キリストが着られたという衣服を誰かがわたしたちに見せたとします。大きく心を動かされ、それをじっくり見ようとするか、それに口づけするために近くに寄ろうとしてしまう者もいます。しかしキリストが実際に身につけられた衣服などというのはどれも、聖書とは違って、決して正しくもまた生き生きとも、キリストをわたしたちに見せるものではありません。

聖書について無知であることが誤りの源であるというのは真昼の明るさよりも明らかであり、それは、キリストがサドカイ派の者たちに「あなたがたは、聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている(マタ二二・二九)」と言われているとおりです。

聖書はこれほどまでに大切なものであるものの、人が聖書を理解できないでしまうことには理由があるということが述べられます。極めて一般の人々の目線に立ったくだりです。

その理由としてまずあるのは、聖書の言葉はときにあまりに質素で粗く飾り気のないものであるので、物事をうわべだけで理解してしまう者の繊細な感情を損ねてしまうことがあるということです。またもう一つの理由としてあるのは、聖書には神の子となろうとした人々であってもさまざまなことをしてしまったということが書かれていることです。

このうちの前者について、たとえば『申命記』から「兄弟が共に住んでいて、そのうちの一人が死に、子がなかった場合、死んだ者の妻は家を出て、他の者の妻になってはならない。その夫の兄弟が彼女のところに入り、彼女をめとって妻とし、兄弟としての義務を果たさなければならない(申25・5)」ということばが引き合いに出されます。他にもいくつかの誤解を受けやすい聖書のことばが引き合いに出されますが、そのひとつひとつについて解説が進められていきます。

また、後者については、たとえばノアが天幕の中で裸で寝てしまっていたことや、ロトが自分の娘と関係をもってしまったことなどが述べられます。話だけを聞いていれば、どうして後に聖とされる人々がこのようなことをしたのだろうか、また、どうしてこのようなことまで聖書に書かれているのだろうかといぶかしく思えるところですが、これについては次のように締めくくられます。

わたしたちは彼らからこういった貴重な教訓を得るべきです。彼らのように信仰に篤い人物であっても、またその内面では神の霊によって心が神への畏れと愛で燃えていても、自らの力だけでは自身を恐ろしい罪から遠ざけておくことができないということです。

彼らでさえ堕ちてしまったのです。わたしたちは自らの欠けているところや弱いところを知る機会を得て、絶え間ない心からの祈りをもって、全能の神が御恵みをもってわたしたちを強くし、あらゆる悪から守ってくださるように、もっと真剣に神を呼び求めなければなりません。

彼らでさえ過ちを犯した。いわんや私たちなど。そのように説かれ、聖書のことばを求め、それを真剣に読むことの大切さが説かれます。そののち、短い祈りをもって第1部は終わります。


今回は第二説教集第10章第1部「思い違いをするべからず」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするには長いので三回に分けることとします。


Twitterもご訪問ください。
主の平和/高校英語教師ミウラが翻訳した説教集(@sermons218tm) / Twitter
朝夕の祈り/高校英語教師ミウラによる聖書名言(@bible218tm) / Twitter
翻訳出版を目指す高校英語教師ミウラ(@tmtm218tm) / Twitter


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?