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光あるうちに光の中を歩め(1)(第二説教集21章6部試訳1) #202

原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)

※第6部の試訳は2回に分けてお届けします。その1回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です):
(10分26秒付近から22分02秒付近まで)




教皇は人々を無知の中に置いている

 教皇による抑圧や略奪はその君主であるローマ皇帝に対してのみならず、他のキリスト教国の王にも向けられ、それぞれの下にある臣民は君主に対する反乱をするように仕向けられました。みなさんにお話したとおりこれは耐えがたいことです。臣下がそのようなものに従って自身の君主や国家に対して外国からの不法な唆しのままになってしまうのは驚くに値する以上のものです。教皇がこのようなことを行うには手段があるのですが、それをお話して、服従や不服従と意図的な反乱を戒めるこの説教をしめくくりたいと思います。教皇はすべての人間を、なかんずく市井の人々を神のみ言葉への無知のなかに置き、そうして自分の語ることが真であり、自分の為すことが善であり神のみ心に適っていると思いこませてあらゆる悪を行っています。人々を父や母や君主や国をはじめ隣人に敵対させようとしていることがあらゆることにおいて極めて効力を持つものであるということをみなさんは理解するでしょう。実に盲目的な無知によって、騙されやすい人がどのような悪辣さに至るものであるかを見ていきましょう。

キリストは人の無知ゆえに刑に至った

 無知によってユダヤ教の祭司は市井の人々に凶悪な殺人者であるバラバの赦免を求めさせ、祭司長の野心と迷信などの悪徳を責められていた救い主キリストをむごたらしい十字架の刑に至らせました(マタ17・20)。救い主キリストが証しなされているように、キリストを十字架につけた者は自分の行ったことの意味をわかってはいませんでした。使徒である聖パウロはこのように言っています。「この世の支配者たちは誰一人、この知恵を悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう(一コリ2・3)。」救い主キリストご自身もまた、人々が無知ゆえに自分が神に対して望ましい犠牲を真に捧げていると考え、ご自身の真の使徒や弟子を処刑して殺害することになるだろうと予見なされていました。これは今の世にあっても見られることです。

教皇は耳慣れない言葉で教えを奪う

 無知についていえば、教皇は決して神のみ言葉を取り上げることによってではなく、むしろそれをよくわからない耳慣れない言語で覆うことによって特に市井の人々を神から遠ざけました。自分が司牧をしていて自分がよく知るローマの言語をあらゆる国で用いるようにさせているのは教皇の野心的な特性の表れです。すべての人々を盲目にし、自分が何を祈っているのかも、何を信じているのかも、何を神に命じられているのかも知らないままでいさせ、神に向かうためのあらゆる教えを奪うという悪意ある目的に向かっています。彼らが聖書を読み上げたり礼拝を行ったりするのにラテン語のほかのどの言語も用いていないのはこのためであり、信じ込みやすい市井の人々のほとんどが主の祈りも使徒信経も十戒も、自分たちの理解できないラテン語でしか知っていません。このような大いなる無知をもって、すべての人々が教皇の語ることを信じ、その命じることを為すようにさせられています。

レオン三世とグレゴリウス二世

 使徒の言葉を唱えることについて考えましょう。もし皇帝の臣下が神のみ言葉にある君主への義務を知っていたらどうでしょう。偶像崇拝の対象となる偶像を皇帝レオン三世が教会堂から取り去ったときのことです。この皇帝が教皇グレゴリウス二世を異端としたからという理由で、自分が臣下としてした誓いの言葉に反してまで主君である皇帝を捨てて反乱を起こすようにと教皇が説くのをよしとはしなかったでしょう。もし神のみ言葉のうち十戒をよく知っていたら、教皇は主君である皇帝への背信者であるだけでなく、神のみ言葉と教えに照らして異端とされたことをもって、神に対してのまたその御稜威に対しての冒涜者であると気付いたでしょう。教皇グレゴリウス二世がその正当の君主に反乱を起こす理由を持っていたとしても、その極めて凶悪な邪さを二倍も三倍もして、恐ろしい不信心と冒瀆を重ねていると彼らは思ったことでしょう。

ハインリッヒ四世とグレゴリウス七世

 しかし、知識の乏しい人々が多くを知り過ぎることのないようにと、教皇は人々に十戒を含めた神のみ言葉の多くを十分に理解させはしませんでした。そのなかから不信心をほのめかす二つ目のもの(出20・4)を軽微な不信仰であるとして除きました。臣下が神のみ言葉をこのようにみていたとしても、彼らが機をみて反乱を起こし、その反乱によって皇帝ハインリッヒ四世を廃することになったのは、皇帝が学識のある牧師などの聖職者を教会の高い地位に就けることが聖職売買や異端の行いとみなされると教皇グレゴリウス七世が考えたからではなかったでしょうか。しかし教皇が皇帝の臣下を手の内に収め、彼らに神のみ言葉を正しく理解させた上で多くのキリスト教徒を殺害させて血を流させ、四十年以上にわたって皇帝に対する反乱を続けさせ、ついに皇帝を廃したというのでしょうか。自分がこのようなことに関わっているのが、皇帝やその相続者たちから帝国にある古くからの権利を奪うことにつながり、結果として教皇にそれを渡すことになると彼らが知っていたのならどうだったでしょう。ひとりの教皇のために、聖体布と呼んでいる二十ペンスの価値しかない布地のために、金でできたたくさんの王冠を、また聖職者からは聖職売買となる多額のお金を受け取ったでしょうか。キリスト教徒である臣民が、自分のしていることが神のみ言葉においてどのような意味になるかを知った上で、反乱によって多くのキリスト教徒の血を流させ、その正統の高貴で勇敢な君主を廃したというのでしょうか。野心的な簒奪者である教皇はイタリアとドイツの全土をキリスト教徒の血で覆い、偽りの言葉でもって無知な臣民をその正統の君主である皇帝に対する反乱にかきたて血を流させました。教皇が引き起こさせた正統の君主に対する反乱において、このような偽りの言葉を伴う手段によって臣民の血が多く流されなかった国はキリスト教界にはありません。

ジョン王とイノセント三世

 わたしたちの国にある例をみてみましょう。教皇イノセント三世はステファン・ラングトンをカンタベリー司教の座につけたいとしてイングランド王ジョンと論争を持つに至りました。王には祖先から受け継いだ、つまりイングランドすべてのキリスト教徒の王に用いられてきた古くからの権利がありましたが、教皇にはそれがありませんでした。かつて自分たちの主君であった皇帝たちにしたのと同じく、教皇はイングランドの王位をはじめ、他のキリスト教徒の王位を簒奪しようとしていました。やはり同じような手段と方法によって事を進め、ジョン王を貶め、主君に忠誠を誓った臣下を離反させました。当時のイングランド人が神のみ言葉にる臣下の君主に対する務めを知っていたらどうだったでしょうか。正統な臣下である極めて多くの貴族をはじめとするイングランド人が、外国からの不当な簒奪者に唆されて自らの王を貶め、正統な君主への誓いを破って、あまりに心許なくまた確固たるものなく主君である王に対して反乱を起こしたでしょうか。

フランス王フィリップと皇太子ルイ

イングランドの臣民がフランス王フィリップとその民とともに、イングランドの王に対しての、またイングランドの民に対しての戦いに加わり、教皇に唆されて国土を怒らせることがなかったでしょうか。彼らはフランス皇太子ルイを、フランスの大軍とともにイングランドの国土に迎え入れなかったでしょうか。彼らは正統な君主であるイングランド王への忠誠の誓いを棄ててフランス皇太子への忠誠を誓い、皇太子の旗印の下でイングランドの王に対抗しなかったでしょうか。彼らは主君であるイングランド王を、イングランドの中心であるロンドンからトレント川の南岸にある広大なリンカンに追い出し、そのリンカンについてはフランス皇太子にその所有権を渡し、それによって彼が長い間そこを領有するに至らせるなどしなかったでしょうか。彼らはイングランド人でありながら多くのイングランド人の血を流させ、母国であるイングランドに無数の悪辣や悲惨をもたらし、残忍な戦争と裏切りに満ちた反乱を起こして教皇の祝福などという果実を欲しはしなかったでしょうか。彼らは自分たちの正統な君主であるイングランド王を極限まで追い立て、外国の偽りの簒奪者である教皇に屈服させ、イングランドの王冠をその代理の手に渡させなかったでしょうか。

イングランドはローマの隷下にあった

この代理者パンドルファスは領有の徴として王冠を自身の手に何日も持ち、再びジョン王にそれを渡し、この王とその継承者たる未来の王たちが、王冠とイングランドの王国を教皇とその継承者たちから、代々その臣下となって受け取ることとしました。その徴においてイングランド王は隷属する臣下として、来る年も来る年も教皇に朝貢をすることになりました。神のみ言葉をよく知っていてそれを心に持っていたなら、イングランド人は正統の君主と生まれ育った国とを、外国の偽りの簒奪者に従属する奴隷の身分にやつさせたでしょうか。イングランドの王も国土も長い間、貪欲なローマの狼が引き起こす極めて嘆かわしく極めて悲惨な圧政と略奪や強奪から遠ざかることができませんでした。教皇はイングランドの国土や王から無限の財宝を奪うだけではなく、それで得た財力をもって、イングランドの国土や王を抑え込む外敵を雇いこの状況を維持しました。とはいえ彼らを隷属の状態に置いたものの、イングランドの国土も王も、飽くことを知らない狼が貪欲にも欲しがるものを何でも譲り渡すことなどなく、残忍な暴君が彼らに向けるどんなことにも耐え忍んだわけではありませんでした。イングランド人がただこれに耐えていたというのでしょうか。みなさんに問いますが、神は祝福された者を呪われ、教皇などの暴君を廃する者を祝福されると知っていたら(マラ2・2)、彼らは教皇のいわれのない呪いを信じての反乱を起こしたでしょうか。のちにヘンリー八世王やエドワード六世王の御代において、また、わたしたちの恵み深き女王の現在の御代においては、教皇の呪いはありませんし、神の大いなるみ恵みがないなどということもありません。

しかし神はイングランドを救われた

 しかしジョン王の時代においては、教皇はイングランド人の神のみ言葉への無知という野蛮な盲目や迷信を、つまりどれだけ彼らがローマというバビロンの淫婦を崇拝してそのあらゆる脅威やいわれのない呪いを恐れることに傾いているかを知っていました。その上でそういったものを乱用し、極めて長きにわたり、反乱によってこの気高い国土とイングランドの王を極めて残酷な圧政のもとに置き、極めて悪辣で底知れぬ欲深さで蝕みました。後代の記憶としてある歴史の事実を記したものとあわせれば、教皇は無知の人々を唆して、恵み深い女王の父と兄であるヘンリー八王とエドワード王の御代の北部と西部の反乱を引き起こしたのではなかったでしょうか。また、教皇が近ごろ、土着のアイルランド人の無知を易々と乱用することができると踏み、非難を受けながらもローマから勅令によってアイルランドに聖職者を送り、アイルランドの地の平和を守る柵や垣根を壊そうとしたのは明白ではないでしょうか。これに味をしめて、また近ごろのことになりますが、長きにわたって祝福に与っていたイングランドの地の平和を邪なものとし、アイルランドと同じように破綻させたことを誰が知らないというのでしょう。彼はにわか牧師をそれなりの身なりで家々に入らせ、北の国境でのことについて囁いてまわらせ、王国すべての民が持つべき神と君主への義務については無知のままにさせ、自身の意図したとおりのことを実行させるようにしました。彼は無知な大衆司祭たちをもって、つまり盲目な人々を導く盲目な言葉によって、蒙昧で盲目な臣民をこの王国にとって極めて危険な恐ろしい忌み嫌うべき反乱の深い沼へと連れていきました。しかし国家が難破することなく、イングランドのキリスト教徒の血がほとんど流されることもなかったのは、神がそのご慈悲から奇跡をもってこの荒れ狂う嵐を鎮めてくださったからであるのです。



今回は第二説教集第21章第6部「光りあるうちに光の中を歩め」の試訳1でした。次回は試訳2をお届けします。最後までお読みいただきありがとうございました。

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