竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息…

竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息子の著書『いつか、未来で』 https://amzn.asia/d/cBUO7vC のカバーイラスト(北村みなみさん)より。

記事一覧

白血病児、家での食事

入院中、食事に関してはこだわりが強く、看護師さんや栄養士さんを困らせてた息子の家での食事はというと…。 ご飯は土鍋 家ではもともとご飯は土鍋で炊いて、味噌汁は昆…

竹内郁代
2日前
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白血病児、入院中の食事のこと

入院中、1番大変だったのがご飯のことでした。 子どもの頃は… 最初の入院の時、まだ年中さんだった息子が入院したのは小児科でした。でも小児科と言っても大学病院だっ…

竹内郁代
9日前
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白血病、再発〜久しぶりの入院

医療センターへ入院して次の日からどこへの再発かとか何の抗がん剤を使うのかが確定するまではステロイドを使うことになりました。 造影MRIやCTで異常が見られ、生検すると…

竹内郁代
2週間前
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白血病、7年目の再発〜後編〜

息子から電話があった次の日、夫と2人、車で岡山へ行きました。 道中、高知の大学病院でお世話になっていた前の主治医の先生に電話して「再発したかもしれません。どうした…

竹内郁代
3週間前
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白血病、7年目の再発〜前編〜

やっかいな隣人 息子が亡くなる前、新聞やテレビで何度か取り上げてくれたことがありました。その時息子が白血病のことを「やっかいな隣人」と言ってました。 最初「どう…

竹内郁代
1か月前
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障がい者に優しい社会とは

息子は小さい時から病気のことを周りの人に「僕、白血病ながよね」って公表していました。 特別支援学校に通っていた時にはみんな何かしらの病気を持っていたのですが、何…

竹内郁代
1か月前
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最初の骨髄移植から退院までの道のり

骨髄移植後、退院までかかる日数は人それぞれですけど、だいたい2〜4ヶ月ぐらいとされています。 うちの場合、最初の骨髄移植を受けた後、下痢や皮膚の急性GVHDがひどくな…

竹内郁代
1か月前
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病気への向き合い方〜息子(白血病児)の場合〜

前に書いた病気への向き合い方〜それぞれの方法〜では、息子のことを書いてなかったなと思って。 息子は息子本人を知る人や、YouTuber「にゅーいん」として知られている人…

竹内郁代
1か月前
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病気への向き合い方〜それぞれの方法〜

骨髄移植の副作用 前回の記事で書いた副作用は、下痢にしても血尿(出血性膀胱炎)にしても、肌の状態や痙攣発作・意識障害にしても、全部骨髄移植のGVHDでなり得るもので…

竹内郁代
1か月前
11

最初の発症から骨髄移植の時の副作用(GVHD)

前回は最初の発症から骨髄移植の時のことを書いたので、今回はその副作用(GVHD)で特に大変だったことを書きます。 表現的にあまり綺麗じゃないところや痛いところもある…

竹内郁代
2か月前
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白血病、発症〜骨髄移植まで

息子の罹患した白血病の種類 話が前後しますけど、今までずっと書かせてもらってて息子の白血病の種類とかを全然言ってなかったなと思って。 5歳の時に発症した白血病は…

竹内郁代
2か月前
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白血病児の大学生活

大学には病気のことを何も言わずに入学していました。でも通院のこととか、他にも何かあった時に「連絡してなかった」とか「聞いてなかった」とかいうことがあっては困ると…

竹内郁代
2か月前
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白血病児、大学へ行く

大学が決まったのは3月に入ってすぐのことでした。 それから1人で岡山へ行って、不動産屋巡りをして、同じ物件が出ていたらそれぞれを訪ねて行って交渉をする。そういった…

竹内郁代
2か月前
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白血病児〜浪人時代〜

高校卒業後、大学に行くために1年浪人してっていうことは決まりましたが、どこの大学っていうのは全く決まっていませんでした。 勉強と通院の日々 それに息子は寛解を保…

竹内郁代
3か月前
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白血病児、高校卒業後の進路

白血病児の勉強事情 息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。 やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段…

竹内郁代
3か月前
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入院生活〜うちの場合〜

ずっと子どもの入院中、笑わせてあげてくださいって言ってますけど、実際、うちの場合、どうやって過ごしていたのかを書きたいと思います。 「しっかりせんと」は呪いの言…

竹内郁代
3か月前
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白血病児、家での食事

入院中、食事に関してはこだわりが強く、看護師さんや栄養士さんを困らせてた息子の家での食事はというと…。

ご飯は土鍋

家ではもともとご飯は土鍋で炊いて、味噌汁は昆布と鰹節で出汁から取って、という最近のお家ではあまり見ない食生活を送っていました。

というのも、夫がこだわりの人だったので。
もともと子どもたちが小さい頃はご飯も炊飯器で炊いてたんですが、ある日突然、夫が土鍋を買って来て「今日からスロ

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白血病児、入院中の食事のこと

入院中、1番大変だったのがご飯のことでした。

子どもの頃は…

最初の入院の時、まだ年中さんだった息子が入院したのは小児科でした。でも小児科と言っても大学病院だったので入院患者はおじいちゃん、おばあちゃんから子どもまで年齢層が幅広く、ましてや病気の人ばかり。必然的に味付けは薄めで魚や野菜が中心になって来ます。子どもの好きなハンバーグやカレーにはなかなかお目にかかることは出来ません。
そんな時の対

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白血病、再発〜久しぶりの入院

医療センターへ入院して次の日からどこへの再発かとか何の抗がん剤を使うのかが確定するまではステロイドを使うことになりました。
造影MRIやCTで異常が見られ、生検すると髄外再発が分かりました。本人が「ちょっと風邪気味。鼻づまりがある」って言ってたけど、そこに再発してたんですね。

それから本格的な抗がん剤治療が始まりました。
治療が始まると、抗がん剤の副作用で40℃越えの熱が何日も続いたり、吐き気が

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白血病、7年目の再発〜後編〜

息子から電話があった次の日、夫と2人、車で岡山へ行きました。
道中、高知の大学病院でお世話になっていた前の主治医の先生に電話して「再発したかもしれません。どうしたらいいですか?」とか言って。2人ともとにかく不安でしょうがなかったから。でも結局のところ、岡山へ行って今の主治医の先生のお話を聞かないことにはどうしようもなかったんですけどね。

岡山に着いて息子と会った時に「大丈夫?」って聞くと「うん。

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白血病、7年目の再発〜前編〜

やっかいな隣人

息子が亡くなる前、新聞やテレビで何度か取り上げてくれたことがありました。その時息子が白血病のことを「やっかいな隣人」と言ってました。
最初「どういうこと?」って思ったんですが、ずっと息子を見ていて納得しました。

息子にとって白血病っていうのは、当たり前のようにずっと隣にいるものだったのです。病気的には時々暴走して治療を受けなければならなくなったりはするものの、基本的に移植のあと

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障がい者に優しい社会とは

息子は小さい時から病気のことを周りの人に「僕、白血病ながよね」って公表していました。
特別支援学校に通っていた時にはみんな何かしらの病気を持っていたのですが、何の病気なのか、とかは知らされてなかったです。何かの折に先生とお話をした時にお友達の病気の話になって、その時に「蔵君みたいに病気のことを声高にカミングアウトしてる子どもさんはいません。プライバシーの問題もあるので、私たちからは言うことは出来ま

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最初の骨髄移植から退院までの道のり

骨髄移植後、退院までかかる日数は人それぞれですけど、だいたい2〜4ヶ月ぐらいとされています。

うちの場合、最初の骨髄移植を受けた後、下痢や皮膚の急性GVHDがひどくなり、それがそのまま慢性GVHDに移行したので、なかなか退院することにはなりませんでした。

点滴もなかなか外れることはなく、1番多い時は、点滴棒に点滴が12個ぶら下がっていました。その時の日記を見てみると「今日、点滴が1個外れた!」

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病気への向き合い方〜息子(白血病児)の場合〜

前に書いた病気への向き合い方〜それぞれの方法〜では、息子のことを書いてなかったなと思って。
息子は息子本人を知る人や、YouTuber「にゅーいん」として知られている人たちによく言われましたが、病気のことを悲観せず、常に前向きでした。
それがどうしてかなと思っていたのですが、この前、病気への向き合い方を書いたあと、気づいて…。

入院中、私はとりあえず明るく楽しく過ごしていたのですが、2日に1回、

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病気への向き合い方〜それぞれの方法〜

骨髄移植の副作用

前回の記事で書いた副作用は、下痢にしても血尿(出血性膀胱炎)にしても、肌の状態や痙攣発作・意識障害にしても、全部骨髄移植のGVHDでなり得るものでした。たぶん移植の前の説明の時に言われてたし、実際その時々で説明されたと思うのですが、あまりにたくさんの副作用や合併症がありすぎて、考えるのを放棄して、聞いたものの全てが素通りしてしまっていたと思います。
今、改めてnoteを書くにあ

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最初の発症から骨髄移植の時の副作用(GVHD)

前回は最初の発症から骨髄移植の時のことを書いたので、今回はその副作用(GVHD)で特に大変だったことを書きます。
表現的にあまり綺麗じゃないところや痛いところもあるのでどうしようかなとは思ったのですが、大人になっての再発から後のことも考えると、これ抜きには語れないなと思って。食事の途中の方とかは読まない方がいいと思います。

抗がん剤治療の時は40℃越えの高熱が何日も続くとか、吐き気が止まらなくて

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白血病、発症〜骨髄移植まで

息子の罹患した白血病の種類

話が前後しますけど、今までずっと書かせてもらってて息子の白血病の種類とかを全然言ってなかったなと思って。

5歳の時に発症した白血病は、T細胞性急性リンパ性白血病でした。
白血病は大きく骨髄性とリンパ性の二つに分かれていて、それが更に急性と慢性に分かれています。息子が罹ったのはそのうちの急性リンパ性白血病でした。
急性リンパ性白血病もB型とT型に分かれているのですが、

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白血病児の大学生活

大学には病気のことを何も言わずに入学していました。でも通院のこととか、他にも何かあった時に「連絡してなかった」とか「聞いてなかった」とかいうことがあっては困ると思って、どうしたものかいろいろ調べていました。そうすると大学にはコミュニケーション支援課という課があり、修学するにあたり、障がいのある生徒や、病気やケガなどによる一時的に支援が必要な生徒への合理的配慮をして頂けるということが分かりました。

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白血病児、大学へ行く

大学が決まったのは3月に入ってすぐのことでした。
それから1人で岡山へ行って、不動産屋巡りをして、同じ物件が出ていたらそれぞれを訪ねて行って交渉をする。そういったことを何度か繰り返して、やっと自分の城を見つけて来ました。
やっぱり時期的に遅かったから日当たりは決して良いところではなかったです。日当たりとか交通の便とかが良いところは早い段階(1月から2月の頭にかけて)からどんどん埋まっていって残って

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白血病児〜浪人時代〜

高校卒業後、大学に行くために1年浪人してっていうことは決まりましたが、どこの大学っていうのは全く決まっていませんでした。

勉強と通院の日々

それに息子は寛解を保っているとはいえ、白血病サバイバー(白血病を経験した人)です。通院も月に何度か行っていました。小児科と皮膚科と歯科と眼科と、いろいろ回らなくてはいけないので、1日ではとても回り切れなくて受診日を分けたり。検査(CTやMRI)が入ると更に

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白血病児、高校卒業後の進路

白血病児の勉強事情

息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。
やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段階からか分からないから、親としてはやはり焦りがあったのだと思います。
一応、息子にも承諾をもらって、本当に一瞬ですが塾に通いました。でもやはり進学塾だけあってタイトなスケジュールだったので続きませんでした。学校の時と同じように、いや、それ

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入院生活〜うちの場合〜

ずっと子どもの入院中、笑わせてあげてくださいって言ってますけど、実際、うちの場合、どうやって過ごしていたのかを書きたいと思います。

「しっかりせんと」は呪いの言葉 

入院したばかりの頃は、白血病のことが分からなすぎてただただ呆然としながら病院に通っていたと思います。知り合いの人に「白血病になって」って話すと、だいたいの方は「大変やね。お母さんがしっかりせんと」って言って泣いてくれたりしました。

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