白血病児、大学へ行く

大学が決まったのは3月に入ってすぐのことでした。
それから1人で岡山へ行って、不動産屋巡りをして、同じ物件が出ていたらそれぞれを訪ねて行って交渉をする。そういったことを何度か繰り返して、やっと自分の城を見つけて来ました。
やっぱり時期的に遅かったから日当たりは決して良いところではなかったです。日当たりとか交通の便とかが良いところは早い段階(1月から2月の頭にかけて)からどんどん埋まっていって残っているところが少なかったのでしょうがなかったのかもしれません。

初めての城

それでも本人にとったら初めての城です。家での息子の部屋は、リビングの一角にある襖で仕切られた畳の部屋で、基本的に襖は開けていたからプライバシーとは無縁の世界でした。今まで家にいる時は絶対得られることの無かったものを手に入れられたっていうのはすごく嬉しかったと思います。何をしても誰からも文句を言われることもなく、ゲームをしてても私から「料理手伝って」とか呼ばれることもなく。

3月末に引っ越しをしました。
引越し業者には頼まず、家族で運びました。大型の家電製品は販売店から直接送ってもらうことにしていたので、自分たちが持って行くのは洋服とか身の回りの細々としたものと、絶対忘れてはいけないゲーム機ですよね。それらのものを車に積み込んで、いざ、岡山へ。

引越しは2日間で終わらせることにしていました。岡山へ着いてからベッドマットや食器入れやたんすがわりの収納ケースなど大きめのものを買いにいろいろお店を回りました。その時、息子は娘と私に「抱き枕」と「時計」を「僕からの餞別」って言って買ってくれました。「餞別って普通逆やろ」とか言いながら家族で笑ったのを覚えています。その時買ってくれた物は私も娘も今も大切に使っています。

アパートに戻り入学式に着て行くスーツのネクタイが結べないって言う息子に結び方を教えたり、家族でわあわあ言いながら家でいる時と同じように過ごして。入学式には来なくていいよって言われていたので、その前日に引越しを終わらせました。

いよいよ帰る時に夫と娘と3人で車に乗り込む時に見た息子のちょっとだけ不安そうな顔、捨てられた子犬のような顔は忘れられません。本当は引き返して思いっきりハグしたかったけど、ちょっと照れもあって出来ませんでした。

帰りの車では涙が止まらなくて、家に帰るまで泣いていました。2人に見られると恥ずかしいので、声を殺して泣いていたのですが、後から聞くと全部バレバレでした。でも何も言わず、気づかないふりをしてくれていました。この場を借りてお礼を言わせてください。ありがとう。

初めて手に入れた自由

今まで、何をするにも一緒に行動していたのが、初めて1人で、自分のことは自分でやることになりました。
大学へ行きながら、掃除・洗濯、ご飯も自分で作って、すごく大変だったと思います。
私はたびたび電話して「大丈夫?ちゃんと出来てる?」って聞いてたんですが「大丈夫、大丈夫。それより大学って楽しいね。来て良かった」っていつも言ってました。

これまで何をするにも横並びで、みんなから遅れないようそれだけを考えながらやって来たのが、朝が弱いから授業をなるべく2限目からにしてとか、◯曜日には病院が入るからその日は午後には授業を入れずなど、自分の体調に合わせて、クリアしなければならない授業は取ってとか考えながらやっていたようです。

高校の時までは授業は学校のカリキュラムに沿って、クラス単位で動くのが当たり前だったのが、大学は決まった履修科目はあるものの、それ以外は自分の興味のあるもの、学びたい科目を選んで時間割まで自分で作ることが出来ます。なのでクラスはなく、授業ごとに様々な教室に移動して。いろんなことが高校の時とは全然違っていたのですごく新鮮で楽しかったんだと思います。

友達も7〜8人のグループで、カラオケ行ったり夜更かししたり、講義のない日は誰かの家でダラダラと過ごしてみたり。

アルバイトも自分で探したみたいです。飲食の裏方がやりたいって言っていたので、何軒か面接にも行って。最初の面接のあとで電話した時に「いやー。こんなに敬語が喋れんと思わんかった。聞かれたことに丁寧に答えるって難しい」って言ってました。目上の人(病院の先生とか)と話す機会はまあまああったものの、言葉遣いとか気にして話したことがなかったから。最終的にファミリーレストランのアルバイトを見つけて、学校が終わってから夜21時過ぎまで働いていたようです。

家にいたら「そんなんやったらいかんやん」って言ってだいたいのことは止められていたと思います。

浪人時代に「誰も知った人がいないところに行きたい」って言っていた本当の意味はそこにあったんでしょうね。そんなことをしても誰にも咎められない、誰にも怒られることがない、みたいな。彼の人生で初めて誰に見張られることもなく、人目を気にせず、やりたいように出来た、心底楽しかった時間だったと思います。

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