竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息…

竹内郁代

白血病患者だった息子の母親から見たあれこれを書いていきたいと思います。 アイコンは息子の著書『いつか、未来で』 https://amzn.asia/d/cBUO7vC のカバーイラスト(北村みなみさん)より。

最近の記事

障がい者に優しい社会とは

息子は小さい時から病気のことを周りの人に「僕、白血病ながよね」って公表していました。 特別支援学校に通っていた時にはみんな何かしらの病気を持っていたのですが、何の病気なのか、とかは知らされてなかったです。何かの折に先生とお話をした時にお友達の病気の話になって、その時に「蔵君みたいに病気のことを声高にカミングアウトしてる子どもさんはいません。プライバシーの問題もあるので、私たちからは言うことは出来ません」って言われました。 「白血病やき」 その時の同級生の子は高校は息子と同

    • 最初の骨髄移植から退院までの道のり

      骨髄移植後、退院までかかる日数は人それぞれですけど、だいたい2〜4ヶ月ぐらいとされています。 うちの場合、最初の骨髄移植を受けた後、下痢や皮膚の急性GVHDがひどくなり、それがそのまま慢性GVHDに移行したので、なかなか退院することにはなりませんでした。 点滴もなかなか外れることはなく、1番多い時は、点滴棒に点滴が12個ぶら下がっていました。その時の日記を見てみると「今日、点滴が1個外れた!」とか書いています。よっぽど嬉しかったんでしょうね。 馬の血清… その時に使っ

      • 病気への向き合い方〜息子(白血病児)の場合〜

        前に書いた病気への向き合い方〜それぞれの方法〜では、息子のことを書いてなかったなと思って。 息子は息子本人を知る人や、YouTuber「にゅーいん」として知られている人たちによく言われましたが、病気のことを悲観せず、常に前向きでした。 それがどうしてかなと思っていたのですが、この前、病気への向き合い方を書いたあと、気づいて…。 入院中、私はとりあえず明るく楽しく過ごしていたのですが、2日に1回、夜泊まりに来る夫は、いつも難しい顔をして、なんかよく分からない分厚い本を読んだり

        • 病気への向き合い方〜それぞれの方法〜

          骨髄移植の副作用 前回の記事で書いた副作用は、下痢にしても血尿(出血性膀胱炎)にしても、肌の状態や痙攣発作・意識障害にしても、全部骨髄移植のGVHDでなり得るものでした。たぶん移植の前の説明の時に言われてたし、実際その時々で説明されたと思うのですが、あまりにたくさんの副作用や合併症がありすぎて、考えるのを放棄して、聞いたものの全てが素通りしてしまっていたと思います。 今、改めてnoteを書くにあたって急いで調べたり、自分の過去の手帳を見直したりしながら書いている始末です。

        障がい者に優しい社会とは

          最初の発症から骨髄移植の時の副作用(GVHD)

          前回は最初の発症から骨髄移植の時のことを書いたので、今回はその副作用(GVHD)で特に大変だったことを書きます。 表現的にあまり綺麗じゃないところや痛いところもあるのでどうしようかなとは思ったのですが、大人になっての再発から後のことも考えると、これ抜きには語れないなと思って。食事の途中の方とかは読まない方がいいと思います。 抗がん剤治療の時は40℃越えの高熱が何日も続くとか、吐き気が止まらなくて一日中ベッドでガーグルベース(病院でよく見かけるピンクのうがい受けのことですね)

          最初の発症から骨髄移植の時の副作用(GVHD)

          白血病、発症〜骨髄移植まで

          息子の罹患した白血病の種類 話が前後しますけど、今までずっと書かせてもらってて息子の白血病の種類とかを全然言ってなかったなと思って。 5歳の時に発症した白血病は、T細胞性急性リンパ性白血病でした。 白血病は大きく骨髄性とリンパ性の二つに分かれていて、それが更に急性と慢性に分かれています。息子が罹ったのはそのうちの急性リンパ性白血病でした。 急性リンパ性白血病もB型とT型に分かれているのですが、最初説明してくれた医師の話では、小児の場合はB型が多くて、それは治療成績も良いと

          白血病、発症〜骨髄移植まで

          白血病児の大学生活

          大学には病気のことを何も言わずに入学していました。でも通院のこととか、他にも何かあった時に「連絡してなかった」とか「聞いてなかった」とかいうことがあっては困ると思って、どうしたものかいろいろ調べていました。そうすると大学にはコミュニケーション支援課という課があり、修学するにあたり、障がいのある生徒や、病気やケガなどによる一時的に支援が必要な生徒への合理的配慮をして頂けるということが分かりました。 保護者面談 4月の終わり頃、学校に連絡をして、その支援課の先生とチューターの

          白血病児の大学生活

          白血病児、大学へ行く

          大学が決まったのは3月に入ってすぐのことでした。 それから1人で岡山へ行って、不動産屋巡りをして、同じ物件が出ていたらそれぞれを訪ねて行って交渉をする。そういったことを何度か繰り返して、やっと自分の城を見つけて来ました。 やっぱり時期的に遅かったから日当たりは決して良いところではなかったです。日当たりとか交通の便とかが良いところは早い段階(1月から2月の頭にかけて)からどんどん埋まっていって残っているところが少なかったのでしょうがなかったのかもしれません。 初めての城 そ

          白血病児、大学へ行く

          白血病児〜浪人時代〜

          高校卒業後、大学に行くために1年浪人してっていうことは決まりましたが、どこの大学っていうのは全く決まっていませんでした。 勉強と通院の日々 それに息子は寛解を保っているとはいえ、白血病サバイバー(白血病を経験した人)です。通院も月に何度か行っていました。小児科と皮膚科と歯科と眼科と、いろいろ回らなくてはいけないので、1日ではとても回り切れなくて受診日を分けたり。検査(CTやMRI)が入ると更に受診日が増えたり時間が長くなったり。下手したら朝行って、帰るのは夕方、みたいな日

          白血病児〜浪人時代〜

          白血病児、高校卒業後の進路

          白血病児の勉強事情 息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。 やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段階からか分からないから、親としてはやはり焦りがあったのだと思います。 一応、息子にも承諾をもらって、本当に一瞬ですが塾に通いました。でもやはり進学塾だけあってタイトなスケジュールだったので続きませんでした。学校の時と同じように、いや、それよりももっとハードにみんなで一斉にテキストをどんどん進めて行きます。それにテスト

          白血病児、高校卒業後の進路

          入院生活〜うちの場合〜

          ずっと子どもの入院中、笑わせてあげてくださいって言ってますけど、実際、うちの場合、どうやって過ごしていたのかを書きたいと思います。 「しっかりせんと」は呪いの言葉  入院したばかりの頃は、白血病のことが分からなすぎてただただ呆然としながら病院に通っていたと思います。知り合いの人に「白血病になって」って話すと、だいたいの方は「大変やね。お母さんがしっかりせんと」って言って泣いてくれたりしました。病気のことが分からない上に「しっかりせんと」って言う言葉は本当にしんどかったです

          入院生活〜うちの場合〜

          大学の講義への参加

          この前、また嬉しいことがありました。静岡の大学で小児看護を学んでいる学生さんの講義に参加させて頂きました。 親の立場から望むこと もともと息子が白血病YouTuberとして発信していた動画をたまたま見つけた先生から息子にお話が来て、息子も一度講義に参加して患者側から看護学生さんに望むことなどを話していました。 息子が亡くなってからあとで先生とお話ししていると「ぜひ、親御さんの立場からお話しして頂ければ」と言われて、去年は実際講義しているところへ参加させて頂きました。 息子

          大学の講義への参加

          白血病児の普通高校への進学

          息子は高校は特別支援学校の高等部に進むのではなく、普通高校に進学しました。 籠の中の鳥 本人もそうでしたけど、私たちも「いつまでも籠の中の鳥では居られないから、どこかで普通の社会に戻らないといけない。それならばいきなり社会に放り出されるより、少しでも早い段階で慣れていった方がいいのではないか」という思いがあったので、そうすることにしました。小学校時代にあんなにしんどい思いをしたにも関わらず。 でも小学校時代と大きく違っていたのは、同級生との関わり方でした。 小学校の時は

          白血病児の普通高校への進学

          特別支援学校のこと

          今回は特別支援学校について書こうと思います。 息子が白血病になって初めてお世話になったのが病院の院内学級でした。そこの先生たちには本当にお世話になりました。病気の治療中だったから精神的にもしんどい時に、時間がある時は勉強が出来なくても病室に顔を出してくれたり、長期入院で遊びらしい遊びもなく退屈しているだろうからと、いろんなボードゲームも仕入れて頂いて一緒に遊んでもらったり。すごく支えてもらいました。 初めての登校 退院後に訪問学級を経て学校に通うことになりました。病気のこ

          特別支援学校のこと

          「若年がん患者在宅療養支援制度」

          最近、嬉しいことがありました。 高知でこの4月から「若年がん患者在宅療養支援事業」という制度が新たに開始されたのです。40歳以上の介護保険を払っている人たちが受けられる支援を若年層の人たちも受けられる支援制度です。 「制度の狭間」 息子が入院中、転院か家に帰るか迫られたことが度々ありました。その時にソーシャルワーカーさんに「家に連れて帰るんだったら介護の方たちが受けるサービスを受けることは出来ませんか?」と聞いたことがあります。「無理ですね。若いから」 …即答でした。

          「若年がん患者在宅療養支援制度」

          白血病児の普通小学校への思い

          普通にならんと… 息子が22歳の時に言いました。「お母さん、僕ね、ずっと普通にならんといかんって頑張って来たけど無理やったがよ。だってそもそものスタートが違うかったき」って。 最初は「どういう意味?」って思ったのですが、息子は幼稚園の年中さんの時に発症して、そこから入院して、抗がん剤、骨髄移植をしてから退院まで5年という日数がかかりました。治療の合間に勉強をして、教科書的には同じ学年の子どもさんたちと同じぐらいのところまで進んでいたとは思います。 でも、その間に普通に元気

          白血病児の普通小学校への思い