白血病児の普通高校への進学
息子は高校は特別支援学校の高等部に進むのではなく、普通高校に進学しました。
籠の中の鳥
本人もそうでしたけど、私たちも「いつまでも籠の中の鳥では居られないから、どこかで普通の社会に戻らないといけない。それならばいきなり社会に放り出されるより、少しでも早い段階で慣れていった方がいいのではないか」という思いがあったので、そうすることにしました。小学校時代にあんなにしんどい思いをしたにも関わらず。
でも小学校時代と大きく違っていたのは、同級生との関わり方でした。
小学校の時は、友達の心無い言葉や行動にいちいち傷ついたり落ち込んだりしていましたが、高校生ともなると「こんなことを言っちゃいけない」とか「こんなことを言われると傷つくよね」みたいなことをみんないつの間にか学習しているわけです。だから必要以上に人の嫌がるところまで無理矢理踏み込んで来ることもしなくて。
息子にすればほど良い距離感で過ごしていけたと思います。
高校男子との体力差
ただ、思ったより大変だったのが同級生、特に男子との体力の差だったと思います。
ずっと悩みの種だった体育は最初から見学にしていました。骨粗鬆症の方はずいぶん良くはなっていましたが、授業とはいえ、元気な高校男子に混ざってサッカーとかを一緒にやるっていうのはどう考えても無理なことでした。
移動教室も教室と教室の間がすごく遠いし、授業も6〜7時間はある。学校の行き帰りも片道30〜40分ぐらいかけて自転車で通っている子もいて、部活をしてる子どもさんもいる。それから帰って宿題もある。
そんな中でみんなに遅れを取らないように勉強もしてっていうのは本当にしんどかったと思います。息子がYouTubeや本でも言ってましたが、1500メートル級の山を登った後勉強するぐらいの大変さだったみたいです。
それでも文化祭の時はクラスでお化け屋敷かなにかをやって、教室中ガムテープを貼りまくって後の掃除が大変とか言いながら楽しそうに参加していました。修学旅行はスキー研修だったのでもちろん出来なかったから別メニューで「かまくら」を作って嬉しそうに笑った顔を写真に撮っていたし、ホームマッチの後の打ち上げにクラスのみんなで焼肉バイキングに行ったりと楽しそうに過ごしていました。
遅れてやって来た第ニ次性徴期
それから息子は第ニ次性徴期が来ていなかったので、その補充のためのホルモン注射を月に1度、高校2年生の時から打っていました。今までは反抗期らしいものもなく来ていたのが、注射を打ち始めてからイライラすることが多くなり、勉強も手につかなくなったようでした。その頃、息子に「どんな感じ?」って聞くと「なんか胸の辺りに爆発寸前のマグマを抱えてるみたい」って言ってました。
普通の子どもさんだと小学校高学年ぐらいから高校生にかけて長い期間をかけて思春期なるものが来て、世間に対してとりあえず腹が立ったりするものですが、息子はそれを高校2年生の時に注射で無理矢理起こしました。だからその感情と身体の変化に「なんで?どうして?」っていう気持ちが現れたのも無理はありません。本人曰く、勉強に集中出来なくなって成績もガタ落ちしたらしいです。
放射線の晩期障害
骨髄移植の後遺症もその辺りで出て来ていて。移植の前処置で全身に放射線を浴びたり、抗がん剤大量投与をされたりしていたのですが、その放射線の晩期障害の頭痛がひどくて。とにかく朝起きたら頭痛くて起き上がることも出来ないっていう日がすごくあって、学校にはもちろん行けません。
なので学校に休みの連絡をすると「え?頭痛だけですか?熱も無いのに休むんですか?」ってよく言われました。それを聞いて私でももやもやしていたから、学校に行っている息子はもっとしんどかったと思います。実際、高校2年生の時は「あと1日休んだら留年決定です」って言われていました。
でも何とかかんとか無事高校3年間、留年することなく終えることが出来ました。
担任の先生は1年から3年まで同じ先生で、たぶんものすごく御尽力頂いたのだと思います。
小学校の先生には怒りしか湧いて来なかったけど、高校の先生には本当に恵まれたと思います。病気のことは同じように「詳しくなくて」とは言っていたのですが、でも分からないなら分からないなりに一つ一つ確認を取ってくれるとか、必要以上に何でもかんでもやらせようとしないとか、そこの辺りはきちんとやってくれていました。なので、そういったことで「行きたくない」とかは息子の口から聞いたことがありませんでした。
卒業の時に「友達と卒業旅行に行きたい」と言って来たのはある意味すごく驚きでした。それもいつもよく聞いていた友達ではない子どもさんの名前だったのでよけいに。娘と「ほんとに友達?」って聞いたら「僕だって〇〇君以外にも友達おるよ」って言われました。
それだけ高校生活を楽しめたってことですよね。
学校に対しては思うところはたくさんあったと思います。みんなと一緒に同じ方向を向いて遅れを取らないようについていくのは、病気を抱える息子にとっては至難の業だったと思うから。
でも私たちには決して泣き言は言いませんでした。しんどかったことは絶対あったと思うけど。
それが「卒業旅行に行きたい」とか言えるなんて。それってやっぱり自分を取り巻く環境が良かったからでしょうね。そこの部分では普通高校に行かせて良かったと思います。お友達や先生には本当に感謝しています。