白血病児〜浪人時代〜

高校卒業後、大学に行くために1年浪人してっていうことは決まりましたが、どこの大学っていうのは全く決まっていませんでした。

勉強と通院の日々

それに息子は寛解を保っているとはいえ、白血病サバイバー(白血病を経験した人)です。通院も月に何度か行っていました。小児科と皮膚科と歯科と眼科と、いろいろ回らなくてはいけないので、1日ではとても回り切れなくて受診日を分けたり。検査(CTやMRI)が入ると更に受診日が増えたり時間が長くなったり。下手したら朝行って、帰るのは夕方、みたいな日は普通にありました。

その中で勉強もしなくてはいけないし、高校の時からずっと受けているホルモン注射もしないといけません。そのせいでイライラすることはまあまああって、父親との衝突はけっこうありました。相変わらずなかなか勉強が手につかないこともあって、夫から見ると「全然やる気ないやん。こんなんで大学行くとかありえん」っていう感じだったと思います。

病院に行くと、主治医の先生はすごく心配してくださってて、診察終わりに「どう?大学のこと、決めた?」ってよく相談に乗って頂きました。今までそんなに反抗期もなかったので、どうしたらいいのかよく分からなくなっていたので、話を聞いてもらって。「もう会計が閉める時間になったから、お母さん、先に支払い終わらせて来て」とかいうことも何度かありました。
その時に先生に言われたのが「蔵君の好きなようにやったらいい」でした。最初は本人は「え?どういうこと?やりたいようにやるって…。そんなことしてもえいが?」って。何度か書いてますけど、そんなことを言われたのは初めてだったので困惑していました。それにお父さんの言うことを聞かんとかダメやんっていう思いが強くあったので、自分の中でどうしたらいいのか、すごく迷っていました。

大学は晴れの国岡山へ

大学をどこにするのか決めかねている時に、私が姉に「岡山って日本で1番晴れの多いところやって」って聞いたことがあって、それを伝えると「じゃあ、大学は岡山に行く」って言い出しました。
高校の時は、偏頭痛(天気痛)が多くて学校を休みがちだったし、何より台風が西日本の太平洋側を通ってる時はずっと頭痛くて寝込んだりしていたので、晴れが1番多いっていうのは、大学を選ぶ際に息子にとってはすごく大事なことでした。
それからはとりあえず岡山の大学っていうのを念頭に置いて勉強をしていました。
夫は相変わらず「大学行くやったら国立大。岡山やったら岡山大」って言い続けてました。

何度も何度も家族で話し合いましたが、2人の意見は平行線を辿るばかりです。
体調のこともあり、これ以上は無理って言う息子と、どうせやるやったら今やらんとって言う夫。でも哀しいことにここでも私たちは本当の意味での息子のしんどさは分かってあげることが出来なかったんですね。

息子と同じく一浪して大学受験の経験のある夫は当時、それこそ朝から予備校に通い、図書館に行って勉強し、生活リズムもしっかりと作り、まさに受験生の鑑のような生活を送っていました。

それが息子ときたら体調の悪い時は勉強出来ず、合間に通院も入っていたので出来る時にやる、みたいなことをやっていたので、夫からすれば「これで受験?」っていう感じだったと思います。
ただ長年抗がん剤や放射線治療に蝕まれて来た身体の息子にとっては最大限努力をしていたのだと思います。

夫の言う「どうせ行くならちょっとでも先々に有利な国立大」って言うのも本当に分かります。「そのためだったら今年無理しなくても、来年でも再来年でも」って言うのも。それって子どもを思う親心以外の何ものでもないですよね。

でも息子からすればそれよりも早く、なるべく早く県外の大学に行きたい。行って一人暮らしがしたいっていう思いが強かったんだと思います。
高校の同級生は現役で大学に行った友達もいるし、短大や専門学校へ行った子も。それから高校を出て就職した友達もいます。そこから少しでも遅れたくないっていう気持ちは絶対あったと思います。
たぶん、学校に通ってても友達と同じことが出来ない、やってはいけないことがたくさんあって、それに対する歯痒さ、苛立ちもすごくあったと思うから。

そこで前回書かせてもらった私が夫に言った言葉「あなたの人生じゃないよね」につながります。
私としては、もしかしたらそこで失敗するかもしれない、やっぱり無理やったってなるかもしれないけど、今だったら自分たちも若いし、夫も仕事をしてるから、助けることが出来ると思って。もし、それが息子が40歳、50歳になって、挑戦して無理やったってなっても、その時は夫は定年してて、経済的にも助けることは出来ないかもしれないから。それよりは失敗するにせよ、成功するにせよ、早いことに越したことはないと思って。
そこから夫はほぼ口出しせず、黙って見守ってくれました。

全部自分で

大学も1人で決めて、受験も1人で行って。住むところを決める段階で、夫が「これから一人暮らしをして、いろんなことを自分で決めていかんといかんから、手始めにアパートも自分で探したらいい」って言って1人で探させることにしました。「そんなん無理〜」って言うかと思いきやそれも言わず、知らない土地で生まれて初めて行く不動産屋さんを何軒か回って、交渉して、全部1人で決めて来ました。

私はハラハラして見守りながら「こんなこと、1人で出来るんや」ってすごく驚いたことを覚えています。今までは、病気のこともあったので、何をするにも一緒にどちらかというと私が先に立ってやって来ていたのに急に置いてけぼりになったような気持ちがしたものです。

でも、それもこれも一人暮らしがしたかったからこそですよね。その熱量は半端なかったと思います。

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