白血病児、高校卒業後の進路

白血病児の勉強事情

息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。
やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段階からか分からないから、親としてはやはり焦りがあったのだと思います。
一応、息子にも承諾をもらって、本当に一瞬ですが塾に通いました。でもやはり進学塾だけあってタイトなスケジュールだったので続きませんでした。学校の時と同じように、いや、それよりももっとハードにみんなで一斉にテキストをどんどん進めて行きます。それにテストも再々あって、成績が悪いとクラスを落とされる、みたいな。

中学校からは個人塾

そんなことはなかなか続くわけがなく、早々に辞めて、個人塾の先生のところへ中学校の頃から通っていました。週に一回、夏休みとか冬休みの長期休みの時は週に何度か行って時間も少し長めにして頂いて。さすがに中3の受験前の冬休みはお正月以外は行っていたような気がします。高校受験はその先生に全部の教科をカバーしてもらって無事受かることが出来ました。

高校は家庭教師と塾の先生、二段構え

高校に入ると勉強は、それよりももう少し踏み込んだところになります。それに息子はあろうことか理数系に進んでしまい、勉強は更に難しくなって来ました。
もともと、中学校からお世話になっていた先生は、英語の先生だったので英語と国語を、理科と数学に関しては別の家庭教師の先生に来てもらうことになりました。

新しい家庭教師の先生は医学部の学生さんで、年齢も近いことから勉強やそれ以外のことも話していたようです。その中で大学の話もいろいろお聞きして、少しずつ大学への興味が湧いて来たんだと思います。それに大学は高校までとは違って「みんな一緒に、同じ方向に向かって。遅れることは許さない」みたいな変なスローガン的なことはなくて、必修科目以外は自分の受けたい講義を選んで、自分で時間割を決めたり出来るし。

今までは、ある意味軍隊のように、みんなに遅れないようにとにかくついて行くことだけを考えて必死になってやっていたわけですけど、そんなことではなく、全て自分のために出来ることをやっていくっていうのは、すごく魅力的に感じたんだと思います。

「大学に行きたい」

卒業が近くなり、それまでは卒業後の進路の話はあまりしたことがなかったのですが「じゃあ、どうする?」っていう話になった時、初めて「大学に行きたい」って言い出しました。でも先生たちには普段の授業のフォローをお願いしていたので受験勉強はほとんど出来ていない、志望校も決まってない、そんな状態で大学っていうのは無理な話なので、一年は浪人して、体力もつけつつ勉強してっていう形にしました。一応、センター試験(今は大学入試共通テストになってますよね)は受けたものの、惨憺たる結果でした。でもそんな成績でも本人はどこ吹く風で、全く落ち込んではいませんでした。

卒業後、どこの大学にするとかを話し合っていくうちに「県外の大学に行きたい」と言い始めました。
ただ、身体のことを考えると誰しも反対すると思います。夫がそうでした。病気のこともあるから、何かあった時にすぐ病院にも行けるので、やはり地元の大学へ行ってもらいたいと。その気持ち、すごく良く分かります。
「どうしても県外がいいなら、親戚もいる大阪とか広島はどう?」って聞くと「知ってる人のいる所に行っても意味ないやん。誰も知ってる人のいないところにいかんと」って言われたのを覚えています。
小さい頃から入院して、ずっと誰かに見張られながら生活するっていうのは、ある意味全然プライバシーもなかったので、それはそれでしんどかったのかなとは思います。だからそんなふうに誰にも干渉されずに過ごしてみたい青春してみたいっていう気持ちが出て来たのかなと。

自立のために…」

それから本人の中では早く自立せんとっていう気持ちが強かったみたいです。その時はそこまで詳しく話したことはありませんでしたが、その後の再発から家に戻って来た時にそんな話をしたことがあります。
大学に行く時に家を出んかったら、いつまでも親に面倒をかけることになるろう。自立するためにはちゃんと家を出んとって。
小さい時からずっと親に心配をかけていたので少しでも早く自立して、ちゃんとひとり立ち出来てるよっていうのを見せたかったのかなと思います。

夫とはそれからもけっこう揉めて、せっかく県外まで行って大学に行くのであれば国立大に行ってもらいたいと。普通に元気な子どもであれば、卒業後の仕事は何でも出来るけど、息子の場合は、普通に会社員になって9時〜17時の仕事は無理だろうと。それに体力の要る仕事は全くもって無理だから、そうではなくて何か特別な技術職、頭を使う仕事につくしかなくて、そのためには国立大に行く方が断然有利だと言って。1番良いのは地元の国立大に行くのが1番だと言ってなかなか譲りませんでした。
本人はそれでもどうしても県外の大学と言い続けていました。

私は本人の気持ちをやっぱり尊重してあげたくて。今まで何の決定権もなく、言われるがまま、されるがままの人生だったのが、初めて自分で「県外の大学へ行きたい、一人暮らしがしたい」って言ってたので。彼の人生で初めて父親に反抗することになりましたが、でもどうしてもそこは譲れないって言ってたのを聞いたから。

夫とは何度も何度も話し合いをして、家でもすごく空気の悪い時もありましたが、最終的に私が「あなたの人生じゃないよね。蔵之介の人生だよね。苦労するかもしれんけど、どういうふうに生きたいかは、本人が選んでいいよね。だって自分たちだって親の言うようにはしてこなかったやん」って言ってからは、夫は何も言わなくなりました。

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