白血病児、家での食事
入院中、食事に関してはこだわりが強く、看護師さんや栄養士さんを困らせてた息子の家での食事はというと…。
ご飯は土鍋
家ではもともとご飯は土鍋で炊いて、味噌汁は昆布と鰹節で出汁から取って、という最近のお家ではあまり見ない食生活を送っていました。
というのも、夫がこだわりの人だったので。
もともと子どもたちが小さい頃はご飯も炊飯器で炊いてたんですが、ある日突然、夫が土鍋を買って来て「今日からスローライフを楽しもう」とか言って炊飯器禁止になりました。味噌汁もほんだしとか使ってたんですが「添加物は体に良くない」とか言って、買ってたやつは全部ゴミ箱行き…。
しょうがないので、土鍋でご飯を炊いて、味噌汁は1回ごとに出汁を取って、みたいなことをしていたら、子どもたちも味にうるさくなってしまいました。
前にも書きましたけど、息子は醤油はあるメーカーのじゃないと使わないし、塩も粗塩と精製塩を両方揃えて、料理によって使い分けるとか、胡椒も同じように。
小児科でお世話になった看護師さんたちには「蔵之介のお嫁さんになる人、ご飯作るの面倒くさそうだから苦労するよね」ってよく言ってました。
そんな息子が「お母さんの料理で1番好きなものはなに?」って聞かれると「ちくわの磯辺揚げと出汁茶漬け!」って答えてて。それは大人になっても変わりませんでした。磯辺揚げなんかちくわを揚げるだけやし、出汁茶漬けも誰でも作れるやん、って私はちょっと納得いきませんでしたけど。
もともと鰹のタタキが大好きだった息子は、病院食で出て来たタタキを食べて「これ鰹のタタキじゃないよね。色が悪いし美味しくない!」って言って箸もつけませんでした。なので外泊や退院時には、必ず須崎に行って、美味しい鰹に舌鼓を打っていました。
家ではご飯の準備の時は、揚げ物を揚げたり、玉ねぎを炒めたり、頼んだことは嫌がらず手伝ってくれていました。
片付けの食器を洗うのも、丁寧に洗ってくれていたので、何の心配もなく任せておくことが出来ました。
岡山での食事は
大学に行った時もご飯を炊くのは土鍋じゃないとって言って炊飯器は却下されて土鍋を持って行きました。今、うちで使っている土鍋はその時に息子が使っていたものです。
シェフをしている私たちの友だちにハンバーグの作り方を聞いて、休みの日に大量に作って冷凍しておくとか、ご飯もまとめて炊いて小分けして冷凍するとか、野菜は高いから一人暮らしだとなかなか使えんがよねとか言って、いろいろ考えながらやっていたようです。
夏休み、帰った時に「向こうで1人でなに作って食べゆうが?作ってみてよ」って言ってもなかなか作ってくれませんでした。
でも話を聞くと、自分でいろいろ想像しながら作ってると。天ぷらをする時にトマトを揚げてみたり、鍋の材料に普通だったらこんなもの入れんよねっていうものを入れてみたり。
岡山の家の後片付け
再発した時に本人は先に帰って入院し、治療を受けていたので私たち3人で次の休みの日に行って全部荷物を引き揚げて来ました。一人暮らしの大学生らしく、部屋はいろんなものが散乱していて片付けるのが本当に大変で。どこに何を置いてるのかもよく分からないし、とにかく全部持って帰ろうとお昼ぐらいに岡山に着いてその日のうちに荷物を積んで、まるで夜逃げのように帰って来たのを覚えています。
いろんなものが雑多に置かれていてあまり人の住んでる感じのしないアパートの一室で、唯一、人がよく使っている気配の残っている場所がありました。キッチンでした。そこは学生相手のアパートだったのでコンロは一口コンロで、料理とかするようなキッチンではなかったのですが、そのコンロがすごくよく使われていて。コンロのグリルの五徳やバーナーキャップはよく使い込まれているし、グリルの受け皿に至っては使いすぎて穴が開きかけてる…みたいになっていて。コンロの掃除の仕方まで教えることが出来ていなかったのでこんなふうになってしまったんでしょうけど、ちゃんと料理をしていたんだなってことはよくわかりました。
退院してからも、私たちには作ってくれませんでしたけど、娘は時々作ってもらっていたようです。
3度目の移植のあとは…
3度目の移植の後、ご飯が食べづらいって言ってましたが、ドライマウスになっていたので唾液が出なくなっていたみたいで。でもそんなことは分からないので「ちゃんと食べんと」とか言ってしまって。ご飯がダメならパンでもって買って行くと「うん。美味しいよ。美味しいけど、パンってよけいに唾液持っていかれるから、スープとかに浸しながらとか、飲み物が絶対いるがよね」って言ってました。
肺の症状が出て来てからは、とにかく肺に良いものをインターネットとかで調べて食べるようにしていました。ここは小さい頃とは違っていましたね。小さい頃は、出されたものを食べる感じだったのが、自分で調べて極力それを食べようと努力していました。進んで食べていたのがトマトと白い野菜(大根とかれんこんとか)とはちみつでした。
入院してからは差し入れに毎日トマトと黒ニンニクは持って行ってましたね。黒ニンニクに関しては肺ににんにくが良いって言われてたので、にんにくに変わりはないだろうと。食欲がなくて何も食べられなくなってもそれだけは食べるようにしていました。忘れて行くとわざわざ電話やLINEで「明日は絶対忘れんとってよ」って抗議されて。なかなか良くなることはなかったけど、そうやって少しでも楽になるのならばって小さな抵抗をしていました。
こんなふうに食べ物のことではずーっと悩まされて来ましたが、本人は食べることが好きだったので将来は食関係の会社に入って、健康で美味しい食事を研究しようと思っていたみたいです。
残念ながら、その夢も叶わぬものになってしまいましたが…。
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