白血病、7年目の再発〜後編〜

息子から電話があった次の日、夫と2人、車で岡山へ行きました。
道中、高知の大学病院でお世話になっていた前の主治医の先生に電話して「再発したかもしれません。どうしたらいいですか?」とか言って。2人ともとにかく不安でしょうがなかったから。でも結局のところ、岡山へ行って今の主治医の先生のお話を聞かないことにはどうしようもなかったんですけどね。

岡山に着いて息子と会った時に「大丈夫?」って聞くと「うん。再発とか言われてもなんのことかよく分からん。だってなんの症状もないのに」って言ってました。
確かに症状はなかったみたいです。だからこそ不安そうな顔をしたらいかん、心配かけたらいかんっていう息子なりの気遣いだったんでしょうね。

でもそうしてくれたことで安心したのも事実です。息子の笑顔を見て、本当にほっとしました。私たちがパニックにならないよう、息子なりにすごく考えてくれてたんだと思います。自分は不安でしょうがなかったと思うけど…。

とにかく病院に行こうということで病院に行きました。

私はこんなふうに急いで来たものの、もしかしたらまだ再発はしてないんじゃないか、再発を疑ったけど大丈夫でしたって言われるんじゃないかとか心のどこかで思っていました。

「再発ですね」

病院に着いて採血をして、それから診察室に通されました。その時、先生から「再発ですね。今回は骨髄移植をしないといけません」って言われました。前日の白血球の値は2万で、その日の白血球は3万に上がってて。他にも血液検査で白血病の疑いがある所見がいくつか出て来て。
本人はちょっと風邪気味で鼻が詰まってるぐらいで、他の症状は何もないって言ってたのですが。

先生に「このまま岡山で治療を受けますか?」って聞かれましたが、夫が「いや、高知へ連れて帰ります」ってすぐさま答えて。
じゃあ、どこの病院に行くのかってなった時に「もとの大学病院に戻りたい」って言ったんですけど先生に「岡山大学と連携が取れてるのは高知医療センターの方です」って言われて。
骨髄移植も2度目となると、前回よりはもっと厳しい状態にはなるので、それならばそうしようという話になりました。

それからその足で高知に帰ることになりました。帰りの車の中で、息子と「再発はしたけど、前の時より白血球も少ないし全然マシやん。大丈夫やろ」って話してるのを夫が「なに言いゆうがやろう」って冷めた目で見ていたのを覚えてます。

突然の別れ

せっかく入った大学ですが、とりあえず休学して治療に専念しようという話になりました。入ってまだ半年しか経っていませんでした。

思えば息子の人生ってお友達に挨拶もできずにお別れすることが多くって。
普通の子どもさんだと小学校卒業の時、中学校、高校の卒業の時、一番大きなお別れは大学進学と卒業の時ですよね。でもそれってある程度予測できることじゃないですか。「あの子、〇〇へ行くからもうなかなか会えんなるな」とか。

息子の場合は、そういう時ではなく、突然に、病気の発症や再発によって、本当に挨拶も出来ずにお別れすることばかりでした。

小学校6年生ぐらいの時に息子に聞いたことがあります。「小さい時、急に病院に閉じ込められて友だちとも会えんなって悔しかった?」って。息子は「そんなん悔しかったに決まっちゅうろう。あの時はお母さんらあの見やあせんところで泣いたこともあるし」って言ってました。私たちにはそんなそぶりは1ミリも見せたことはありませんでしたけど。

でも、今回のお別れはその時の比じゃないぐらい辛かったと思います。

息子にとっては初めての一人暮らしで、親からも離れて誰に干渉されることもなく、アルバイトをしたり友達とも楽しく過ごして、将来のこともちょっとだけ考えることが出来るようになっていた矢先のことだったのに。それを全部放り投げて明日から治療のため入院します、友達にはお別れの挨拶も出来ず、地元に帰りますって言われて、すぐ納得が出来るかというとなかなか難しいと思います。…やっと自分の世界が持てていただけに。

それでも私たちには、落胆した顔は見せませんでした。「再発してしもうたね。向こうへ帰って治療受けないかんね」って言うと「そうやね。分かった」って言って。
その言葉の中にどれだけの想いがあったのか、これから起こるであろう苦しいこと、しんどいことを全部飲み込んだ上での「分かった」だったんだろうなと今になって考えてしまいます。本人がいないので、聞くことは出来ませんけど。

増え続ける白血球…

次の日、高知医療センターに入院しました。その時、血液検査をしたら4万5千になっていました。前日、岡山で説明を受けたのが3万だったので、毎日1万ペース、いや、もっとの速さで増えていきます。最初、先生に言われたように来週まで待っていたら10万は軽く超えてたと思います。

それを考えると、夏休みに帰る時にはしかの抗体を調べるように言ってたのがよかったなと。あの時、それを言ってなかったらもっと発見が遅れていただろうから。

今思えば小さい時に発症した時、病気が分かる2ヶ月前にアレルギーの検査で血液検査をした時は異常が無かったっていうのも頷けます。毎日これだけのスピードで増えていくんだったらあの時27万になったのも不思議ではなかったんだと。

こうして息子の長い白血病治療が始まりました。

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