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何もできなくても生きていい

noteを見ていただいて、ありがとうございます。注意欠如多動性障害(ADHD)・精神障害者手帳2級で博士(生命科学)のred_dash です。

私は引っ越しの準備をしながら、新しい研究を始めるための研究予算を得るために、申請書を書いています。皆様はいかがお過ごしでしょうか。


今回は「私たちは仮に何もできなくても生きていい。”何もできない”ことで”あなたも、私も生きていい”とメッセージを伝えられる」

と声を大にして言いたいので筆を取りました。


きっかけは次の記事です。私が感銘を感じた部分を引用します。

『「意思疎通できない障害者には生きる価値がない」に対する応答は、決して「いや、この人達も意思疎通できているかもしれない」であってはならない。「意思疎通の可否と生きる価値は関係がない」であるべきだ。前者と後者では、言っていることは全く違う。ここを絶対に間違えてはいけない。その理由は、ここまでお付き合いいただいた皆様にはお分かりであろう。

 私は、全ての命に価値があるという信念を曲げない。日々の生活の中で常に色々な物差しで優劣を判定され続けるこの社会では、私もついその信念を見失いそうになる。それでも、いくらきれいごとだと言われようと、命の価値にいかなる留保条件もつけたくない。そのきれいごとが力を失った社会では、もはや誰も生きることを許される保証はない。私も、そして、あなたも。』

「歩けないのはやる気が無いからだ」 虐待された障害者の私が、植松被告に覚える既視感 | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/29804


何かができる、優秀である、いい子である。そうなりたいと願うことは素敵です。

でも。何もできなくても、優秀でなくても、いい子でなくても、障害があっても、生きていていいのです。それを肯定してほしい、と私は思います。


私は「優秀ないい子」になりたいと願って、学生時代を過ごしました。「優秀ないい子」でなければ、周りに認められなければ生きていけないと感じていました。

その背景には、父が転勤族で引っ越しが多かったことが原因にあげられるでしょう。引っ越すたびに、私は”よそ者”となり、周囲に認められなければ爪弾きにされる恐怖感を感じました。幸い、学校の成績はよかったので「頭のいい奴」として認められることで、周囲からの評価を保っていました。ちょっと変な奴でも、学業優秀だから、許容されると感じていました。

しかし、大学に進み、研究者になると私よりずっと「頭のいい奴」はたくさんいました。もはや許容されない、と感じて自分で自分が嫌になりました。私のアイデンティティーは崩壊しました。できないことがたくさん目立つようになりました。だから、原因が発達障害とわかって救われました。

障害者でも活躍している人はたくさんいます。もちろん、活躍しない人もたくさんいます。障害があるから、できないことがあるからダメなわけではありません。


最後に、障害者の生活を描いた本を一冊紹介して、今日は終わりにしようと思います。



それでは、良い一日をお過ごしください。


※本記事は、red_dash が2020年2月5日現在までに収集した情報に基づき作成されていますが、情報の正確さを保証するものではありません。

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