本の紹介

【本の紹介】『重野安繹と久米邦武』松沢裕作

本の紹介第3弾。今回は松沢裕作(2012)『重野安繹と久米邦武:「正史」を夢みた歴史家』山川出版社を取り上げます。本書は「日本史リブレット人」というシリーズの中の1冊になります。本書は日本の近代歴史学の草創期を支えた人物に焦点を当てた本になります。歴史研究とは何かを考えさせられる、そんな1冊となっています。

※以下は私が面白いと思った感想を取り上げます。本書の要約とは若干異なります。悪しからず。

感想①:日本の近代歴史学がどのように誕生したのかを学ぶことができる

 本書で注目する人物は重野安繹(やすつぐ)と久米邦武になります。両者は誰かから歴史学の技法を学んだのではありません。明治政府の官吏として「正史」を作成する過程を通して、歴史学とは何かを考え抜きました。正史とは、国家が自ら公的な歴史書を編纂することを指します。これは中国の歴代王朝の伝統でもありました。中国では、王朝が交代すると、前の王朝の歴史を次の王朝が編纂していました。日本でもこの伝統は存在しており、「六国史」(りっこくし)がこれにあたります(註1)。

 本書を私なりに分かりやすく伝えるのであれば、「教科書を誰が作ったのか」という視点を持つことです。学校の授業では人物や出来事を中心に学びます。しかし、なぜその人物や出来事を取り上げるのでしょうか。教科書はそれに対して答えてくれません。そして、このような歴史の書き手に関する問題は歴史とは何かを考える上で、重要な問題です。私も研究を続けていく中で、この問題に直面し、頭を抱えています。

(註1)六国史とは、『日本書紀』『続日本紀(しょくにほんぎ)』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の6つ歴史書を指す。

感想②:歴史は何の役に立つのかを改めて考えさせられる

 昨今、歴史認識をめぐって、様々な議論が展開されています。ここでは深く立ち入りませんが、歴史を知ること、学ぶことは何の役に立つのでしょうか。これに対して、著者は重野と久米の思想の変遷を辿りながら、以下のようにまとめています。

重野は、事実を明らかにすることは道徳的秩序を「おのずから」明らかにすることだ、としてこれに答え、一方、久米は近代社会を生き抜くために必要な、社会の複雑さの認識の手段として歴史を知ることの必要性を説いた。(註2)

 本書では、重野や久米に反論した学者の話も登場しています。彼らの主張も傾聴に値する主張です。この部分も紹介したいですが、続きは本書実際に読んでみてください。

(註2)松沢裕作(2012)『重野安繹と久米邦武:「正史」を夢みた歴史家』山川出版社、83頁。

おわりに

 歴史は何の役に立つのか。これは私が頭を抱える質問の1つになります。正直「明確にコレだ!」と言えるほどの自身はありません。しかし、重野と久米の議論を読むことで、歴史学ができることは何かを改めて考えさせられました。

 人物や出来事を詳しく調べること、歴史的出来事の因果関係を考察することは確かに歴史学の研究を進めていく上で重要ですが、それだけで歴史学を研究することはできません。本書をきっかけに歴史学そのものの意義を考えてみるのはいかがでしょうか。

余談ですが、リブレットは100頁程度の薄い本になります。今後もおもしろいテーマがあったら取り上げていきたいと思います。

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