最後の晩餐(4分の3 フィクション)
「乾杯」
カチンと乾いた音が聞こえる。
同じワインのはずなのに、グラスの傾きでお互いの色が違って見える。
曇り空と湿気でジメジメとした6月の気候。
形容し難い雨の匂いに思い出すのは、今日と同じあの頃の私たち。
彼はいつだって真っ直ぐな目をしていた。
愛の告白も、それはそれはストレートで、ある意味ロマンチックだった。
星空の下の誰もいない住宅街
ね?場所だけでも、もうお腹いっぱい。
付き合ってからは、もっともっと真っ直ぐに、ただただ愛された。
会話の終わりは「好きだよ」って愛のささやきで終わらせたい...こんなキザなセリフでさえも彼にとっては朝飯前。
学生時代のちょっとした甘酸っぱい日々は、私にとっても心地の良いものだった。
それは今だって良い思い出。
好きなものは好きと、嫌いなものは嫌いと真っ直ぐに伝えることのできる人。
素直な人。
だから恋愛漫画のようなうざったらしいすれ違いは一回もなかったし、隠し事も何もなかった。
終わりも至ってシンプルで、それはあまりにも突然だった。
彼らしいと言えば彼らしいけれど。
「別れてほしい」
ほら、いつだって直球。
「どうして」
「夢があるんだ。きっと将来、僕は結婚をしない。君が大事だからこそ、君の時間を無責任にもらいたくないんだ」
とても嘘をついているようには思えなかった。
あまりにも瞳が綺麗だったから。
そしてやっぱり真っ直ぐだったから。
「そっか、じゃあ、これで最後だね、乾杯」
ワインの入ったグラスを前に差し出す。
彼は驚いた顔をしていた。
こんなにもすんなりと別れ話が受け入れられると思っていなかったのだろうか。
私だって、内心、驚いていた。こんなにもすんなりと受け入れられるなんて。
外は今にも雨が降り出しそうだった。
「懐かしいね」
彼は目を細めてはにかむ。
「確かに。ちょうどこの時期だったもんね」
私も頬の緊張を和らげる。
「ね、乾杯したあとの言葉、覚えてる?」
ふと、彼がそんなことを聞いてきた。
「私が言った言葉?」
「そう」
「ううん」
心当たりはある。だけど、なんとなく知らないふりをする。
「最後の晩餐」
ポツリと彼は呟く。
「最後の晩餐って言ってた」
最後じゃなかったけどね、なんて言いながら、彼はワインを口に含んだ。
時折、彼の時計や、スーツ、様々なものに目がいく。
どれもブランド品で、3桁は下らない。
そもそも、このレストランだって、あの別れを告げた時のところではなく、高級なホテルの最上階。
この数年で、彼がどれほど本気で夢を追いかけていたのか、よくわかる。
「君と別れてから、ずっと夢だけを追いかけてきた」
また彼が話し出す。
「いろんな人と関わって、全力でもがいて、時には上手くいかないことだってあったけど、僕にとっては、夢が全てだったから。夢はお金に変わって、地位や名誉にも変わった。もう何が夢で、何が自分の中に残っているのか、わからなくなってしまったんだ。お金なんて、ありすぎても使い道に困るだろ?」
寂しそうな笑顔。
「そうね、私もこの数年、ずっと夢を追いかけてきたけれど、あなたほど、生憎、お金や地位や名誉は頂かなかったから、なんとも」
今私はどんな顔しているのだろうか。
「おいおい、別に皮肉に言ってるわけじゃないぞ?」
彼は戯けた口調で言う。
「知ってる。皮肉なんて何なのかわからないような人だったし」
沈黙が訪れる。
「結婚をしてみたくなった」
沈黙を破ったのは彼で、またしても、突拍子もないことを言い始める。
「自分にとって大事な人がいたら、変わらない大事があれば、どんなことも頑張れる気がして...だから...」
「私は真っ直ぐなあなたが好きだった」
彼の言葉を遮る。
「毎日のように、さも当たり前で、ただただ好きを真っ直ぐにぶつけてくれる、そんなあなたが好きだった。始まりも、別れも、いつだってまず、言いたいことを真っ直ぐに伝える。ねぇ、あなたは今、それができる?」
グラスのワインを全て飲み干す。
グラスの口紅を指ですくう。
「こんな回りくどい告白をするようなあなたではなく、真っ直ぐに好きを伝えてくれて、真っ直ぐに夢を追いかけるあなたが好きだった」
荷物を持ち、サッと立ち上がる。
「今のあなたにそれができる?」
彼はただ黙って私の言葉を聞くだけ。
ねぇ、知ってる?今日のあなたの瞳、真っ直ぐだって思った瞬間がなかったの。
「最後の晩餐、ありがとう」
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