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意味を絵で見せる漢字、意味を音で奏でる仮名(好きな文章・05)

 今回の記事は、「痛みをつたえる名文(好きな文章・04)」のつづきです。「好きな文章」という連載の番外編です。


漢字、感字


 漢字には感字の側面があるように思います。いっぽう、ひらがなやカタカナを見ると、それが形であることを忘れて、音に直して自分の中に入れている気がするときがあります。

 漢字は意味をともなった形がダイレクトに目に入ります。有無を言わせずに入ってくるのです。

 痛い、いたい、イタい、イタイ

 並べてみると「痛い」がいちばん痛いです。イタイが目について痛いのはイタイイタイ病という言葉があるからかもしれません。

 ところで、「痛々しい」というと「かわいそう」という意味になるのは興味深いです。心が痛むということですね。

五感、語感、互換


 五感が響き合う、つまり五感を別個のものとは感じないというのは、誰もが何かの形で日々経験しているのではないでしょうか。べつに超常現象とか神秘体験などではありません。そもそもヒトにとって五感は独立したものではないはずなのです。

 たとえば、テレビで手術の場面を見て痛いと感じれば、それは視覚や聴覚(メスが皮膚を切り裂く音、ジーッという電気メスの音、手術室の扉閉まる音……)によって痛覚にスイッチが入ったのかもしれません。同じ場面を見た別の人は、強い耳鳴りに襲われるかもしれません。口に酸っぱいものを感じて吐き気を覚える人もいるでしょう。視覚的なフラッシュバックを経験する人がいてもおかしくはない気がします。病院独特の匂いが急に嗅覚をはじめ聴覚や視覚や触覚や味覚を刺激することも考えられます。

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 上の文章では、漢字をやや多めにしてあります。読むというよりも、目を細めて漢字だけの字面を見ても、なんだか厳めしいし痛い感じがしませんか?

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 言葉で、痛くなることがある。きりきりしたり、ずきずきしたり、ちくちくすることがある。気持よくなることもある。せつなくなって涙がこぼれることがある。色が見えることがある。苦しくなることがある。においを感じることがある。むずむずしたり、ひりひりすることがある。お腹が鳴ることがある。誰かの声がするような気持ちになることがある。背中を撫でられたような気がすることがある。足もとをすくわれたような感覚に陥ったことがある。体がほてってぽかぽかしてくることがある。

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 今度の上の文章では漢字が少なめなのですが、とくに「きりきりしたり、ずきずきしたり、ちくちくする」の箇所を声に出して読むと、痛みを思いだしてたまらない気持ちになります。

 つまり、ダイレクトに痛みが目に飛びこんでくる感じはしません。全体的にひらがなが多いので、やさしくやわらかい感じがします。

 平仮名はじっさいに声に出さなくても、心のなかで音読して体に染み入ってくる気がします。目で文字をなぞって撫でながら、その音色を聞いているのです。

 そのため、痛みはじわりとやってきます。じわりと効いてくるのです。

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 こうも言えるでしょう。漢字では意味が視覚的に飛びこんでくる。ひらがなは意味を奏でる。

 漢字は意味を目で感じる。意味を目で漢字る。
 かなは意味を音で奏でる。意味を音で仮名でる。

 語感は五感(五官)と深くむすびつき、人同士での互換性もありそうです。

理解するよりも感じたい


 ところで、表意文字とか表音文字という、もっともらしい言葉があります。もっともらしいというのは、その言葉を知ることで思考停止におちいりやすいという意味です。

 もっともらしい言葉とは、分かった気持ちになる言葉とも言えます。つまり、その言葉でまとめて終わりになり、その言葉の指すものを体験しようとしなくなるのです。

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 ○○効果(エフェクト)、○○現象、○○シンドローム(症候群)なども、その言葉で名指すことで分かった気分になります。名前だけで知っているという意味です。

 ある名前(名称・用語)を学ぶと、それだけで名指されている対象を、自分で感じ体験し検証する気持ちをなくしてしまうことがあります。

 たとえば、ゲシュタルト崩壊という言葉を知ることで、そんなの解決済みだと高をくくり、ゲシュタルト崩壊という言葉で名指されているものを自ら体験して観察し考察しなくなるのです。

 ある言葉があっても、その言葉が指すものが解決済みだということにはなりません。そもそも、世界に解決済みのものなどあるのでしょうか?

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 私にとって思考とは、体験であり、感じることです。

 私は理解するよりも感じたいし、理解してもらうよりも感じてもらいたいとつねに思って書いています。これが私の書き方の根っこにある気持ちなのです。

 そんなわけで、もっともらしい専門用語(カタカナ語も含みます)や漢字の熟語はなるべくつかわないように心がけています。

 話をもどします。

漢字は絵


 漢字が感字であるのは、「絵」だからという気がします。絵は有無を言わせず、ずばり入ってきます。どこにって、身体に、です。

 腹痛、胃痛、歯痛、頭痛、腰痛、胸痛――痛む箇所が一目瞭然です。
 疼痛、激痛、劇痛、鈍痛――どんなふうに痛いかがよくわかります。
 苦痛、心痛、沈痛、悲痛、哀痛――見ているだけで心が苦しくなってきます。
 鎮痛、鎮痛剤、緩和ケア――見ていると痛みがおさまるような気持ちになります。
 痛快、痛切、痛飲、痛烈――程度が「いたく」つまり「激しく」迫ってきます。

 漢字は絵であり顔でもあると思います。その字面に表情を感じるのです。顔が痛いと言っているのです。

医学、医療


 人は痛みから逃れられません。私はこれまでにいろいろな病気になり、いまもかかえ、さまざまな痛みと苦しみを経験してきました。これからも、痛みと付きあって生きなければなりません。

 やはりすがるのはお医者さんとお薬です。もちろん、看護師さんや薬剤師さん療法士さんを忘れてはなりません。入院をすると、いかに多くのスタッフにささえられているかがわかります。

 医方、漢方、和方、医学、医術、蘭学、独逸医学、現代医療、現代医学、東洋医学、西洋医学――。医学や医療ではじつに多くの漢字がつかわれています。カタカタの専門用語も多いです。

 言葉が「外」から入ってきたのと同様に、古来から医学と医療ではさまざまな国々や地域の技術が導入されてきたのでしょう。

 杉田玄白と前野良沢などが並々ならぬ苦労をして『ターヘル・アナトミア』を翻訳したという話を思いだします。その成果が『解体新書』ですね。言葉と医学・医療は密接に結びついています。

問診


「どこが痛みますか?」「どんなふうに痛みますか?」

 お医者さんが問診で尋ねる言葉です。

 私たちはそれに対して、体の部位と、ずきずきとかきりきりといった言い回しで答えます。

 いまではお医者さんはパソコンでカルテを書いています。つい遠慮して、画面にはあまり目をやらないようにしているのですが、ちらりと見るとそこには漢字とカタカナがあります。

 数字を忘れていました。数字も文字で、顔と表情があります。ある検査項目の数字が、ある患者にとっては痛さや苦しさの印となるという意味です。私にも心当たりがあります。数字に一喜一憂するわけです。

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 まとめます。

 漢字、カタカナ、ひらがな、数字、記号――どれにも顔と表情があります。人はその顔と表情に自分を当てはめたり、自分を見たりするのかもしれません。

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 かつてうちのかかりつけだったお医者さんは、外国語でカルテを書いていらっしゃいました。アルファベットの筆記体でした。

 女性で、数年前に百歳ちかい高齢で亡くなったのですが、あのカルテは、英語だったのかドイツ語だったのか……。

 字面が思いだせません。目に浮かぶのは先生のやさしい顔と表情だけなのです。


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