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冬はつとめて。 これは恐ろしい意味のこもった言葉なのである。

「冬はつとめて。」

いやあ、清さん、本当にそう思っていただろうか。
これについては、疑っている人が少なくないと俺はずっと思っている。

最初に確認しておきたいのだが、「冬はつとめて」は、秋の収穫を終えた農家の清さんが冬になるとどこかの会社に勤めにいく…ということではない。

「え、ちがうの?」と思った人は、この先長いので、ここでやめておくことをおすすめします。長い文章が嫌な人はまたのご来店をお願いします。

さて、「清少納言が言っていることだからすべて正しい。その当時の人はみんなそう思っていたに違いない。」と考えているとすれば、それは見解としてはクソである。

全人類、自らが日記に書くことは全部本当のことなのか?
そんな馬鹿なことがあるはずがない。
美化したり、盛ったり、全くの嘘が混じったりしても何ら不思議ではない。

古いものだから、歴史上の人物だから、と言った単純な理由で”盲目的に”すべてを「正」とするのは全くもって愚かなことである。遠回しに言ってみたが、遠回しでなければ「バカ」だということだ。所詮は人間であり、人間のすることなのだ。

冬は早朝?死ぬほど寒いのに?早朝?いいの?死ぬほど寒いのが?
いやいやいやいやいやいやいや、それは嘘。絶対に嘘。

たしかに、平安時代は今より3度ほど平均気温が高かったと言われてはいるらしいが、冬の京都。しかも当時の衣服事情と暖房設備では寒くないわけがない。

「平安の世の人々は、冬の寒いのを全面的に受け入れて、それを風流として楽しんだ」…なんて人ごとのように推測するのは簡単だが、一般的に痛いのや痒いのが好まれないように寒いのをとりわけ好むようではMがすぎはしないか。

もちろん過度なMがよいというのであればそういう好みが存在することを否定はしないし、それはそれで構わぬ。
わざわざお金を払って痛めつけてくれるところに好んで行く人々もいるのだし、またそれを提供することで他人に迷惑をかけずに生計を立てている人々がいて経済が回っているのならそれもよかろう。がしかし、だ。

蹴りはピンヒール。

とか

鞭は強めで。

とか、そういうことを大上段からさも一般化しているかのように言うのはだめだろう。ピンヒールも鞭も嫌に決まってる。

つまり、清少納言のような立ち位置にいる人物が自分のMさ加減を一般化して「冬は早朝に限る」などと断言してもよいかと言えば、断じてそれは否である。

しかしながら、清少納言がMであったという証拠はない。とすればこういう方向からも考えられる。

ただこれは極めて繊細なポイントであり、まだ世には発表されていないはずである。

どういうことか。
清少納言は紛れもなく当時最高レベルの言霊使いであった。
そして「枕草子」は、その彼女が仕掛けた国家転覆装置であった、ということだ。

源氏物語が言霊による反藤原に対する鎮魂の書であることは周知の事実だが(井沢元彦氏の著書を参照してほしい)、この枕草子は藤原氏の天皇家封じ込めの書なのである。

あ、言っちゃった。あーあ、言っちゃった。
大丈夫かな。命狙われないかな。ないか。ないない。

冒頭で、春はあけぼの(朝方)、夏は夜。秋は夕暮れ、と来る。
俺なら冬は素直に’昼’にしておく。積もった雪が日に照らされて屋根や木々の葉の上でキラキラと輝き、鳥のさえずりでも聞こえればいとをかし。くらいにしとけば可愛気があるではないか。

しかし、彼女はどうだろう。四季あるのに、朝が2回、夕方が1回、夜が1回。これだと「昼」の立場がないではないか。

「あれ、昼がないじゃん」
中学の古典の時間で枕草子を読んだときにそう思った人は少なくないはずである(まあ、誰かさんたちのように授業をちゃんと聞いていなかった人たちのことまで俺は知らんけどよ)

では彼女が昼の存在をしらなかったのか?そんなことはあるはずがない。

「平安時代は1日2食。ランチはない。だから平安人は昼のことを知らない」などという頓珍漢な馬鹿たれがいたら、豆腐の角に頭をぶつけて永遠に気絶していてほしい。朝昼晩の呼称は飯時に対応しているわけではない。

清さんも当然"昼"の存在を認識していた。にもかかわらず、朝を2回出してまで、昼をこの中に入れなかった。バランスを重んじる日本人としてはおかしい話だ。どう考えても「わざと」である。

清少納言が仕えていた中宮定子はご存じの通り藤原氏の出だ。彼女は道長の姪である。

藤原道長と言えば「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」とまで歌ってしまうほど、当時天皇家以上の権勢を振るった男である。

紫さん(中宮彰子に仕えていた。彰子は道長の娘)に鎮魂の書「源氏物語」を書かせたのも道長であったが、清さんのパトロンも道長であった。

昼に天下を隅々まで照らすものは何か?光を与えるのは何か?
それは太陽だ。子供でも知っている。

日本人にとって太陽とは何か。
それは天照大神である。

天照大神は女性の太陽神だ。勉強した子供なら知っているし、勉強しないで大人になってしまったこのことを知らない人は今すぐ豆腐を買いに行ってほしい。

神道神話では天照大神こそ天皇家の先祖神であり、であるからこそ天皇家は天皇家たりうるのである。

清少納言はこの天照大神を「わざと」外して見せた。

朝だって太陽は出るじゃないかという方もおられようが、春の箇所ではまだ太陽が出きってはいないし、冬は早朝はまだ暗い。

言霊は言ったり書いたりすることでその霊力を発揮させるものだが、彼女は敢えて言わないことでその霊力を封じ込めた。これが裏言霊の術なのであろう。

しかも、である。「昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。(昼になってだんだん寒さがやわらいでくると、火桶の火も白い灰ばかりになってみっともない。)」と"昼"をディスってまでいるのである。

ああ、恐ろしい。

天照大神を念頭に置いてこんな装置を作ったとなれば死罪になってもおかしくない。しかし彼女は道長によって厚く守られているから大丈夫だった。何より彼女にこれを作らせたのは他ならぬ道長だったのだから。

神話の時代から日本の最上位に位置する天皇家を、臣下の身でありながらその権力を奪い、封じ込めようとする藤原道長の大陰謀が、この「ピローブック」。これが国家反逆でなくて何であろう。

藤原一族が陰謀で追い落とし滅ぼした他の氏族の怨霊を封じ込めるために紫式部に「源氏物語」を書かせ(普通なら藤原氏物語を書かせそうなところ、あえて”源氏”を書かせている)、裏言霊の術で清少納言に「枕草子」を書かせた。

道長が当時誰もおよばぬ権力を持てた理由がまさにこれなのである。天皇家が院政によって再び権力を取り戻すにはその後90年ほど待たねばならない。

冬はつとめて。
これは恐ろしい意味のこもった言葉なのである。


っていうのはどうだろう。

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