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みんな居なくなる。 みんな記憶の人になる。

昔の田舎の話だ。

小学生の頃、夏休みの朝のラジオ体操の後は近所の中学校のグランドでソフトボールの練習があった。

夏休み中に行われる町内対抗ソフトボール大会のためだ。

うちの親父が昔高校球児だったということで、町内の子供らの練習の面倒をみていた。そして近所のおじさんであるSさんもノックをしたり、キャッチボールをしたり、その手伝いをしにきてくれていた。

親父の期待をしっかり裏切った俺は実技はからきしヘタクソだったが、漫画をめちゃめちゃ読んでいたのでルールなんかは細かかった、と記憶違いでなければそう記憶している。

うちの町内は商店街だったこともあり、近所のおじさんおばさんたちも小さいころからよく知っていたし、ヘタクソながらも仲良しの友達とみんなで朝からワイワイやるのは楽しかった、と記憶している。

こうしてあらためて記憶をほじくり返してみると、
親父も若かったし、おじさんたちも若かった。
動きがきびきびしていたように思う。

もちろん彼らが高校生の頃のようには動けはしなかったろうけども、そもそも俺は彼らの高校生の頃を知る由もない。

とにかく親父たちは散らばる子供たちに向かって大声で罵声?を浴びせながら活き活きとノックバットを振るっていた。

「なんしよっか、こんションベンっ!」
「お嬢さんか、おまえはーっ!」

さすがに俺はここまでは言わない。
今の子供にはアウトかもしれぬ。 いや確実にアウトだ。

あれ、おかしいな。俺から溢れる品の良さ…。
育ちはいいはずなのだが…。
あれは俺の親父じゃないのかもしれん。

そう言えば夏の夜には商店街で「夜市」をやっていた。
うちの裏は神社で、公民館も併設されていて、砂場やジャングルジムもあった(今はもうない)。

夜市のとき、そこの砂場にあさりを埋めて「貝掘り」大会が開催された。今考えると強引すぎる催しだ。いろんなことにうるさくなかった時代の長閑なひととき。今ならもうアウトだろうな。

Sおじさん、準備のときに俺に手招きしてあさりを一個握らせてくれた。好きなところに埋めてこいって。よーいドンのあとに、そこを掘れって。

小ズルの誘いに簡単にのる。むしろ喜んでのる。
平和な時代の幸せなひととき。

たかだかあさりひとつのことだったけど、
その瞬間はそれがすべてだった。

いつもいつも優しくて、俺のことをよくよく可愛がってくれたsおじさん。先週の金曜日に癌で亡くなったそうだ。
(親父ももう数年前に逝った。)

最後に会ったのはいつだったか。
程よく丸くて、元気だったおじさんしか覚えていない。

みんな居なくなる。
みんな記憶の人になる。

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