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こちらがたじろぐほど可愛らしい少女が、キラキラと輝くオーラをまとう袋を俺に手渡してくれた。中には史上無いほど可愛い手作りのクッキーと沢山のメッセージ…

4年前のこと。

3月12日の誕生日は朝からマンリー地区で行われた東日本大震災の復興支援イベントに出演した。

1回目の大書パフォーマンスを書き終わった後のインタビューで、オージーの司会者がニヤつきながら俺に「おい、お前。誕生日なんだろ」とささやいた。英語なので実際にこうはささやいていないが、俺にはこんなニュアンスに聞こえた。そしてその声は小さかったもののマイクを通しているから彼の声は各所のスピーカーから会場に流れる。

「いやまあそうなんだけど」としどろもどろの俺をよそに、どんどん話は進んでいき、あろうことか会場にいた2万人くらい(筆者推計。涙で正確には数えられなかった)の観客の皆さんが一人残らず俺のために「Happy Birthday」を合唱してくれた。

なんて優しい人たち。。。もし望むならもれなくどの人にも、顔に墨で「愛してる」って書いてあげたい。もちろん無料だよ、と申し出たが、誰一人、声も手も上がらない

という妄想をしながら、みんなの歌声を心にしみこませた。
本当にありがたいことだった。

そのせいで(おかげで)、そのあと行くところ行くところで「誕生日おめでとう」と言われ続けた。こんなに色んな人から祝ってもらったことは無い。

しかしどういうわけかみんな顔に薄ら笑いを浮かべているような気がしてならなかった。「お前も生意気に誕生日なんて日があんだなあ。ふっ。」と思われているのか心配して多少落ち込み気味でいたんだが、単にズボンのチャックが半分開いていただけだった。

奥ゆかしい文化の中で育った日本人は「お前チャックが開いてるぞ」なんてデリカシーのないことは口にしない。神道の精神自然崇拝、あるがままの姿にこそ美しさを見出す、開いたものは開いたままで、出たものは出たままで、ということだろう。…か。ということも可能性としては無くはない。

そうたらこうたらしていたら、むこうから特別な輝きを放つファミリーが俺に近づいてきて、こちらがたじろぐほど可愛らしい少女が、キラキラと輝くオーラをまとう袋を俺に手渡してくれた。

恐る恐る中を見てみると、中には史上無いほど可愛い手作りのクッキーと沢山のメッセージが。

こんなに心を打たれることがあるだろうか。

親兄弟でさえすっかり忘れてる俺の誕生日を、前日から考えてプレゼントを準備してくれたのだ。嬉しさのあまりどういう態度をとっていいかわからずにおたおたしているうちに、その神さまたちは行ってしまわれた。

しかしまあ普段真面目に頑張っているとこんな想像もしなかったことがあるのだ。甥っ子や姪っ子にさえ、こんなことしてもらったこと無い。ズボンのチャックを上げておいてよかった。

あとは楽しみにしていた石川綾子氏のバイオリンも聴けたし、和太鼓りんどうのみなさんとコラボレーションをさせていただいたし、一回やってみたかった20メートル近い超ロングな作品もかけたし、パフォーマンスを手伝ってくれたボランティアの人たちとも知り合いになれたし、想像以上に色んな国の人がパフォーマンスを気に入って褒めてくれたし、ランチのお弁当もお茶もイチゴも旨かったし、そんでもって夜になってまでイベントスタッフの皆さんが(酔っ払って)わざわざ自宅にいた俺にLINEで「Happy Birthday」を合唱してくれて、なんて表現したら分かりやすいか考えたら、あんこが端まで詰まったたい焼きみたい、に朝から晩までいいことだらけだった。

プレゼントもいっぱいいただいて本当にありがたかった。これからもお役に立てるように頑張ろうと思った。

ただ人のことを必要以上に雑に扱う人とは極力お付き合いを控えさせていただくつもりだとは本当に心に強く思ったのだった。残念だけど。

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