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人生のラッキータイム

「人生のラッキータイムだったんじゃね!?」
赤羽の寂れた居酒屋に、飛沫混じりの大声で中学からの幼馴染みが、梅酒サワーを片手に言った。

1000円でベロベロになれる、通称せんべろ巡りが僕らの月1の楽しみ。中学が同じで、奇遇にも大学に入学してからも家が近いと知った僕らは、頻繁に激安居酒屋に足繁く通っていた。
大学時代は唐揚げ山盛りが看板メニューの居酒屋や、全品298円の居酒屋など、とにかく激安居酒屋で飲むことを月一の楽しみとしていた。
自分たちのことを「ベロベロ酒飲み兄弟」と呼称し、恥ずかしみのない世界に浸った僕らは、この飲み会で、あることないこと、発泡酒の泡が弾けるのと呼応して、大学生がコンパを開く喧騒の中、清々しいほどに口角を上げ、語り合ってた。26の春までは。


「おれさ、結婚するかも!」
「え、まじ?ユイちゃん?」
「てかする!」
こっちの気も考えないで、自分の話をべらべらと、意気揚々とする佑樹。
「先週プロポーズしてさ、まあプロポーズっていうか、そういう空気になって?」
おいおい、今日はそんなこと聞きたいんじゃないんだよ。お前の失恋エピソードをつまみに乾杯するんじゃなかったの?
「おれらももう1年ぐらい付き合ってたからさ、お互いもういいよなーってなって?」
去年まで3ヶ月で絶対別れちゃうって話で盛り上がってただろ。どうした?
「彼女の親にも挨拶してさ」
お前そういうの、一番嫌いだったろ。
「てことで、俺の結婚に、、、?」
否応なしに口が動いた。
『乾杯ー!』

もう、そういう年齢じゃないのかもしれない。
今年の11月には僕ももうアラサー。世間からしたらただのフリーター。
バンドで飯を食って行くって決めたのは、19歳の夏だった。大学受験に失敗して浪人生活を送ってたとき、じいちゃんが死んだ。小さいけど自分で会社をたて、自分で死ぬまで会社を経営していた自慢のじいちゃんは僕に、「やりたいことをしな」と、ずっと言っていた。じいちゃんの死に焦燥した僕は、じいちゃんのように生きると決めた。
これが僕がバンドで食っていこうと思った理由。
腐る程された質問のせいで、ツラツラと述べられるようになった理由。
元々こんな理由なんてなかったのかもしれない。自分を後押しするために、自分を肯定するために、知らぬ間に自分で思い出を手繰り寄せて、作り上げたのかもしれない。

「佑樹さ、俳優どうすんの?」
「ユイちゃんも役者やってるから、そこの理解ある子でさ」
「あ、そうなんだ」
ホッとした。
「でも、」
嫌な接続詞が佑樹の口から発せられてすぐ、僕はお通しのナムルを掴むのをやめた。
「元々役者やってたやつが今会社の人事やってて、そこで人足りないらしくて、正社員って形で雇ってくれるらしくて」
「え、就職するの?」
「就職っていうか、役者やりつつね」
「役者やりつつ?」
「有給とか使えば、できなくはないかなって。前より舞台立つ機会は減っちゃうかもだけど」
「それもう役者じゃないって!本気で言ってんの?」
「だから舞台は立つって!知り合いでもそういう人いるし」
「いや、もうそれ趣味じゃないの?」
赤羽の喧騒にそぐわない沈黙が、僕ら二人の間に流れた。
「逆にいつまで続けんの?」
「何か?」
「バンド」

ここから佑樹に何を言われたか、あんまり覚えてない。というより、思い出したくない。

「だから、ラッキータイムだったの、役者やってた頃は!」
「なんなんそれ!」
「おれのラッキータイムは終わったの!」
「諦めんなよ!」
「お前のラッキータイムももう終わる!」
「まじで殺すぞ!」
僕の怒りが表面上の笑いになるぐらいは冷めたとき、佑樹が清々しいぐらい、夢を諦めた。
「あのな?俺もそりゃ役者やれんならやるよ!?でもな、でもな、でもな!?わかるだろ!?」
勢いだけで押し通そうとする佑樹。
それに反論したところで、佑樹の決断を変えられるとは思ってない。でも反論しないと、自分にも言われているような気がした。
「とにかく!」
佑樹が梅ロックを飲み干したあと、眉間にしわを寄せて低い声で言ってみせた。
とにかく、の一言で纒めるには早すぎるやり取りだった。
「ユイと結婚したときは、余興頼むわ!」
「事務所通してな?」といつもなら軽快に言葉を挟むだろう僕も、今日だけは、言葉に詰まった。

「人生のラッキータイム」

佑樹がどれだけこの言葉に意味を込めたのかは知らない。でもこの一言が、気づかない間に僕の頭の中を被うようになった。
ふとした時に出る、「人生のラッキータイム」
そこまで深くもないだろう造語に、左右される自分がいた。

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