れもん

アダルトチルドレン(でした)。HSP気質。夫のポジティブがうつってネガティブが中和…

れもん

アダルトチルドレン(でした)。HSP気質。夫のポジティブがうつってネガティブが中和されてきた。ふたり暮らしをしている圧倒的ただの主婦です。今はまったりのんびり絵を描いてみたり文章を書いてみたり。思いつくまま。

最近の記事

生活雑記(コロナとか)

6月の初め、夫とその友人の3人で久しぶりに人の多いところに出かけた。 目的地は屋外で、電車移動しながら途中カフェに入ったりしたんだけど、コンコンと咳をしている人がちらほらいて「うーん…すこーしヤな予感…」なんて思ってたら その翌々日くらいに、しっかりと身体がだるくなってきて。 仕事から帰ってきた夫に「ごめーん、ちょっと風邪ひいちゃったかも」って話したら『もしかして、喉痛い?』と返され。 「えっあなたも!?」となって。 (夫の友人はその後も何ともなかったらしい) お医者さ

    • 自分をカテゴライズする事へのちょっとした違和感。

      私はアダルトチルドレンだった人間で、HSPの気質も持っている。 というような事を、自己紹介の欄に書いている。 本当のことではあるものの「自己紹介これでいいのかな」という気持ちもある。 と言うのはnoteを始めた一番の理由が アダルトチルドレンだった自分を偽りなくさらけ出すことで、長いこと溜め込んできた心のモヤモヤや澱を洗い流してしまいたい、というものだった。 そしてその通りいくつかの記事に自分の過去をありのまま書いて、結構すっきりした。 正直、アダルトチルドレンに関して

      • 実家の猫の思い出。

        ちょうど3年前に、大好きだった実家の猫が天国へ旅立った。14歳になる直前、13歳と11ヶ月だった。 上の猫のイラストは、その子がベロをしまい忘れたのが可愛くて描いたもの。 ネコさんとの出会いはペットショップだった。 祖母の家近くに、私が小さな頃から何十年も経営している小さなペットショップがあり、そこに何気なく立ち寄った。 数種類の猫がいる中で、生まれて数ヶ月のロシアンブルーの女の子に目が止まった。 私は10代の頃からロシアンブルーという品種の猫に憧れがあり、絵に描いたり

        • 実家に帰る、ということ。

          十数年前、彼氏(現在の夫)と同棲するために実家を出てから、基本的には年に2回ほどのペースを維持しながら帰省している。 自分だけで帰ったり、夫とふたりで帰ったり。 住んでいる県と実家がとても離れているので、飛行機で帰るのが当たり前になっているけれど、毎回とにかく出費がかさむ。 平日か週末かで値段の変動はあったりするものの、ふたりで帰る時は仕事の都合上連休しか選択肢がないので必然的に高額になる。 決して生活に余裕がある訳ではなく、 “航空費だけでちょっとした旅行ができるなぁ…

        生活雑記(コロナとか)

          なぁんにもない日。

          なんだか外はどんよりしてて、暑いんだか寒いんだか分からない。 やけに静かな気がするし、いつもよりもひとりぼっちな気がしちゃう。 いちいち天気のせいなんかにしてたらキリがないでしょー?なんて思いつつも、明らかにいつもより気力が湧かず、気ばかり焦っている。 なのに情報だけは目からたくさん収集しちゃってるもんだから、頭の中は「ちょっと待って、そんなに色んな情報いっぺんに入れんといてー!」って悲鳴を上げている。 ごめんよ脳みそ。君ばかり忙しなくて。 こんな日に自分を責めよう

          なぁんにもない日。

          両親との対話で、自分を許す。

          自分の特性が何なのか、何がしんどいのか。 段々と分かってきた時、実家に帰ったタイミングで 改めて両親に質問をしてみた。 「ふたりはどういう家庭で育ったの?」 祖父母の家に行ったことは何度もあるけれど、子供の頃どうだったかなんて聞いたことはなかった。 結論から言うと、ふたりとも辛い思いをしていた。 母も父も、父親(お爺ちゃん)から怒鳴られたり手をあげられたりする事は当たり前だったそう。 当時はそんなこと珍しくもなかったと。 でも、珍しいかどうか、時代のせいかどうかで

          両親との対話で、自分を許す。

          (過去話)夢はひとつずつ消え、その場しのぎの人生が残った。

          私が生まれて初めて将来の夢を口に出したのは、保育園の時だった。 「わたし、かんごふさんになりたいんだ」 ところが次の瞬間、母から 「えー?やめといた方がいいよ?血とかいっぱい見るし、怖いよ?」 と返された。 “え…そうなの?こわいのはやだ…。たしかに血をみるのは、こわいな…” そう思った私は臆してしまい、初めて抱いた夢はすぐに消えた。 その後、卒園の時に「しょうらい なりたいもの」 を書くことになったけれど、なりたいものがなくなった私は何を書けばいいのか分からず 隣の

          (過去話)夢はひとつずつ消え、その場しのぎの人生が残った。

          (過去話)なんだか変な子供だった。

          ・2歳~3歳の頃 ピアノ教室に通う。 それ自体は嫌じゃなかったけれど、最初は鍵盤でオモチャのように遊ぶことを指示されるばかりで (おそらくピアノを楽しめるように?) 私はそれがとても嫌だった。なぜか恥ずかしいと感じていて、そしてつまらなかった。 普通に弾きたい…と思ったことだけ覚えている。 その後、私が「もう行きたくない」と言ったので、母は数日で辞めさせたらしい(そこは覚えてない)。 今となってはこれが一番後悔している事かも知れない。弾けるようになりたかった… ・4~

          (過去話)なんだか変な子供だった。

          (過去話)原因と、それに気付いたキッカケ

          私は「分からない」や「知らない」と言う事が全くと言うほどできない人間でした。 それを言うことは恥ずかしい事だと思っていたし、ダメな奴だと思われたくなかったのです。 その原因になったであろう出来事を、綴ってみようと思います。 愚痴を聞かされていた 私の母は、とても愚痴を言う人でした。 仕事、人間関係、そして父のことなど とにかく愚痴として発散したいタイプの人。 その愚痴を当時の私(小~中学生)は、いつも真剣に聞いていました。 時には母から「どう思う?」と意見を求められる

          (過去話)原因と、それに気付いたキッカケ

          はじめまして(noteを始めた理由)

          はじめまして、れもんと申します。 簡単に自己紹介しますね。 夫婦ふたり暮らしで、現在は専業主婦となって丸2年経ちました。子はおりません。 イラストを描く(修行中)などしながら日々暮らしている、ギリギリ30代アラフォーです。 幼い頃から慢性的に、俗に言う“生きづらさ”を抱え続けています。 noteを始めた理由は ▪自分語りをしたくなった ▪考え過ぎる癖があるので、頭の中にある事をアウトプットしたい ▪人目に触れる場所で文章を書いてみたい この3つです。 私は何をしても自信

          はじめまして(noteを始めた理由)