見出し画像

(過去話)夢はひとつずつ消え、その場しのぎの人生が残った。

私が生まれて初めて将来の夢を口に出したのは、保育園の時だった。

「わたし、かんごふさんになりたいんだ」

ところが次の瞬間、母から
「えー?やめといた方がいいよ?血とかいっぱい見るし、怖いよ?」
と返された。

“え…そうなの?こわいのはやだ…。たしかに血をみるのは、こわいな…”
そう思った私は臆してしまい、初めて抱いた夢はすぐに消えた。

その後、卒園の時に「しょうらい なりたいもの」
を書くことになったけれど、なりたいものがなくなった私は何を書けばいいのか分からず
隣の友達が書いていたものを真似して
“おはなやさん”と書いた。


成長して小学校5年生になった頃、とある職業に興味を持った。
それは、ペットトリマー。
街でガラス張りのトリミングサロンの前を通りかかった時に「こんなお仕事いいな」と憧れを持った。

その頃学校の授業で、再び将来の夢を書くという機会があったので“トリマー”と書いた。

そしてまた、母に話した。
「私いま、ペットのトリマーさんになるのもいいなと思ってるんだ」

すると母は
「そうなの?うーん…でも、れもんは喘息があるからなぁ。犬の毛とか、体には良くないかもよ」
と言ってきた。

私は幼少の頃から、喘息とアトピーを患っていた。

“そっか…トリマーもダメなんだ”
“病気があるし、私、もしかしたら何にもなれないのかも”

ぼんやりとそう思った。

小学生から中学生までの間、私はずっと絵を描くことが好きで、ノートなどによく描いていた。
美術部にも入部して、いつからか「絵を描くことが仕事にできたらな…」と思い始めていた。

しかし、一緒に入部した友達がものすごく絵のうまい子だったので
“あ、ダメだ。私あんなに上手に描けない。きっと絵の仕事なんて無理”
そう思ってしまい、そのうちキャンバスに向かい合っても筆が動かなくなり、部室にも行かなくなった。

何にも自信を持てず、諦め癖もついてしまった私は、その後の進路も将来の夢も何もかもどうでもよくなっていた。

高校生になってしばらく経った時、母から「この職業いいと思う。安定してるし、一生役に立つから。これに関連した学校に進学するのはどう?」
と提案された。

母が喜ぶのならそうしよう。と、短大に進学した。

が、3ヶ月で中退した。


その後はずっとフリーターとして生きた。
色んなところを転々としながら。

同じフリーターとして働いている人を何人も見たけれど、ほとんどの人は夢のために自らフリーターを“選択”していた。

何もないのは私だけだった。そして心の中でだけは、いつも死ぬほど焦っていた。

“何でもいいから、正社員にならなきゃ、私には何の価値もなくなってしまう”
“みんなどうしてそんなに夢を持ってるの?私はやりたい事なんてひとつもない”

とりあえず貯まったお金で車の免許を取りに行き、中古の車も買った。

そのうち、家の中である事情による問題が起き始め、それにより自殺願望すら抱きそうになっていた私はやっと決心をした。

「家を出よう。一生ひとりで生きていく。誰にも認められなくていい。まずはもっとお金を貯めなきゃ」

その決心の直後、現在の夫となる彼と出会った。

何度も「私には結婚願望がない」「子供も欲しくない」と伝えたけれど、数年後、夫婦になった。

自分に“妻”という肩書きがついた事が、とても不思議だった。

そしてそれは、その場しのぎの人生が終わった瞬間でもあった。


・この文章は、ダメな自分を隠すのをやめたくて綴りました。
もしここまで読んでくれた人がいたら、貴重な時間を使って下さった事に、心から感謝します。
本当にありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?