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両親との対話で、自分を許す。

自分の特性が何なのか、何がしんどいのか。
段々と分かってきた時、実家に帰ったタイミングで
改めて両親に質問をしてみた。

「ふたりはどういう家庭で育ったの?」

祖父母の家に行ったことは何度もあるけれど、子供の頃どうだったかなんて聞いたことはなかった。

結論から言うと、ふたりとも辛い思いをしていた。
母も父も、父親(お爺ちゃん)から怒鳴られたり手をあげられたりする事は当たり前だったそう。

当時はそんなこと珍しくもなかったと。

でも、珍しいかどうか、時代のせいかどうかで
その辛さがなかった事になる訳がない。

さらに母は、母親(お婆ちゃん)からも大して気にかけてもらえず育ったので、実はお婆ちゃんの事もそんなに好きじゃなかったの、と教えてくれた。

そして最後にこう言った。
「つくねには、あんまり何かをしてあげたり教えてあげたりした事なかったなって思う。
正直、子供にどう向き合っていいか分からない時期もあった」

私はそんな事を言われると思っていなかったので、思わず「あー、ですよねぇ」と、おどけて笑った。

怒りや恨みなどは、何もなかった。

母も、色んな事を気にかけてもらって褒めてもらったりしたかったのに
経験がなかったから、自分の子供にどう接していいか分からなかったのだろう。
父も同じだ。

それだけの事だと思った。

「こっちはこんなに生きづらい思いをしてきたのに、無責任なものだ」
…なんて、微塵も思わなかった。

両親なりに考えながら何とか育ててくれていたんだろうな、と思えたからだ。
そりゃ辛いことは山ほど起きたし、足りないこともたくさんあった。でも、思い返せば遊びに連れていってくれたりしてちゃんと思い出もつくってくれた。
私達はみんな親として、子として、“家族”であるために、必死で生きていただけだったから。

何より、私がしたかった事は
親を責めることではなく、自分を許すことだった。
私は私を許したかった。

妙に自信過剰になったり、逆に自分を罵ったり、間違ったり挫折したり大失敗してばかりのめちゃくちゃで大嫌いだった自分に、生まれてこなきゃ良かったと泣いた自分に「そのままでいていいよ」と言いたかった。

そのために、私が私になった始まりをちゃんと知ることは必要だった。


あの日から、少し時間が経ったけど
今では色んなことが劇的に良くなって、超ハッピー!!

…なんて都合の良い展開はある訳なく
今でも前と変わらず色んな事に悩みながら、夫と一緒に暮らしている。

この歳になってやっと見つけたやってみたい事は、まだまだうまくいかない事ばっかり。

でも悩み過ぎた時、私に「そんなんだからダメなんだよ!」とか言ってくる“過去の私”は、改心したらしい。

今では「まぁそれが私だもんなー。仕方なし!どんまい!」と言ってくれる。

ちょっとは、頼もしいと思えるようになったかも。

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