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(過去話)原因と、それに気付いたキッカケ

私は「分からない」や「知らない」と言う事が全くと言うほどできない人間でした。
それを言うことは恥ずかしい事だと思っていたし、ダメな奴だと思われたくなかったのです。

その原因になったであろう出来事を、綴ってみようと思います。

愚痴を聞かされていた

私の母は、とても愚痴を言う人でした。
仕事、人間関係、そして父のことなど
とにかく愚痴として発散したいタイプの人。

その愚痴を当時の私(小~中学生)は、いつも真剣に聞いていました。
時には母から「どう思う?」と意見を求められる事もあり、そういう時は子供ながらに頭をフル回転させて「こうしたらいいんじゃない?」とアドバイスをしてみたり。
母は「なるほどね」と私の言葉を聞いてくれて、それがとても嬉しかった。

“役に立てている”と思えたからです。
とにかく親の役に立って褒められたい、という気持ちがとても強かったので、とても誇らしく感じていました。
(両親から褒められた事は、ほとんどありません)

気が付くと母のカウンセリング担当のようになっており、やがて歪んでしまった自尊心から
“私はどんな話でも理解できる。どんな問題でも解決できる”と思い込むようになり
分からないと言うことはあってはならない。と自分に言い聞かせるようになっていきました。

これは、要因であろう内の1つの出来事でしかありませんが、私の中で長年“良い記憶”として刻まれていました。

結婚して環境が変わった

やがて結婚し、実家を出て、夫の親族と関わったり職場の既婚者を見ているうちに「おや?なんだか周りと感覚が違う」と戸惑うことが多くなりました。

その戸惑いの中には、違っていて当たり前だろうと納得できる事もたくさんあったのですが
どうしても私の心の奥にいる“わたし”が「私はそんな事してもらえなかった…私はそんな事知らなかった…」と不満を良い続けてしまうのです。
(幻聴などではなく、素直な心の声として)

そんなモヤモヤが続き、私は何かの病気なんだろうか?とネットで色々な情報を調べ、様々な診断(簡易的な)などを試していた時に
「アダルトチルドレン」という概念があることを知りました。

その概要を読んでいくと、なぜか涙が止まらなくなってしまい、次第に心の奥の“わたし”も「そうだったんだ…」と落ち着き、そのうち不満を言うこともなくなっていきました。

そして段々と、親の役に立てたことで刻まれていた私の中の“良い記憶”は、ただの“記憶”に変わっていったのです。

今回は一旦終わろうと思います。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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