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(過去話)なんだか変な子供だった。

・2歳~3歳の頃

ピアノ教室に通う。
それ自体は嫌じゃなかったけれど、最初は鍵盤でオモチャのように遊ぶことを指示されるばかりで
(おそらくピアノを楽しめるように?)
私はそれがとても嫌だった。なぜか恥ずかしいと感じていて、そしてつまらなかった。
普通に弾きたい…と思ったことだけ覚えている。

その後、私が「もう行きたくない」と言ったので、母は数日で辞めさせたらしい(そこは覚えてない)。

今となってはこれが一番後悔している事かも知れない。弾けるようになりたかった…

・4~5歳の頃

保育園でお泊まり保育というものがあった日の夜、
キャンプファイアで火を囲んで、音楽に合わせてみんなで踊るという時間があった。

みんな楽しそうに踊っていたのだが私は
“恥ずかし…やってられない…”みたいな感覚が強すぎて、全然楽しくなかった。
そして先生たちに何か言われないように、とりあえずスカしながら踊っているフリをした。

この記憶はわりと鮮明に残っているけど、我ながらなんて可愛くない園児だったんだろうと思う。

・小学校の頃

入学してすぐに“学校は嫌いだ”と思った。
どこの誰かも分からない人達(クラスメイト)と仲良くしなければならないという圧や、
遠足で仲良くもない男の子と手を繋がされたり、机をくっつけて班を作らされたり、その全てが嫌で嫌で仕方なかった。

極度の人見知りだったからだろうか?よく分からないけれど、全く人と喋りたがらない子供だった。
その為、何をされても黙っていたので、よくクラスメイトに嫌がらせをされた。

ただ、家に帰れば私はものすごく饒舌だった。

そういう子供は大抵、成長と共に変化していくものだけれど、私の場合は中学生になってもさほど変化しなかったように思う。


何歳の時だったか10代のどこかのタイミングで、タンスの奥に一冊のノートが隠されてあったのを見つけた。

ページをパラパラめくると、母の文字。
日記だか備忘録だかが、ランダムに書かれてあった。内容はほとんど覚えてない。
ただ、その中のたった二行だけは今もはっきり覚えている。

つくね(私)が、たまに子供だと思えない時がある。あの子はなんだか大人のような目で、周りをみている。


そう書いてあった。

それを見た時、
「あぁ…お母さんから見てもそうだったんだ。私やっぱり、みんなと違って変だよね」
と思った。

“大人でいなきゃ、しっかりしなきゃ”という不思議な意識が、ものすごく早い段階で頭にあった。
さすがにそれが何故なのかは今では分からない。気付いたらそうなっていた。

ただ、周りの皆が何も考えず無邪気に生きているように見えて、それが羨ましかった。
私の頭の中にはどうしてこんなにたくさん言葉があるんだろう。それなのにどうして人と喋るのが下手なんだろう。

生きづらさの種だけはちゃんと芽吹いて、心にしっかりと根差して成長し、私を支配し始めていた。


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