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歴史探偵Q「調査報告書#2:石田三成」

 皆さん、ご覧いただきありがとうございます。
歴史探偵Qです。

 今回の調査報告書は
戦国武将「石田三成」です!!

 皆さん「石田三成」にはどんなイメージをお持ちですか?
あるテレビ番組の調査では…
「冷酷」・「ずる賢い」・「敗軍の将」・「嫌われ者」etc.

 → 「悪いイメージ」ばかり……なぜ???
かくいう私も、今回の調査がなければ「石田三成」という
人間は好きになれなかったかもしれません。
というか<嫌いでした>笑

 これは、学校での授業やドラマではいつも悪役(敵役)が多い影響?
江戸時代の歴史書でも三成の悪口が書かれているから?
これは「歴史は勝者によって作られる」という格言がある様に
もしかしたら正当性を主張したい<徳川側の人間>の仕業かもしれません。

          「信じるか信じないかは…あなた次第です。

 おふざけはここまでにして、世間のイメージは良くなかったですが…
三成公が亡くなってから約400年たった今…
「ゲーム(戦国BASARA)」、「ドラマ:真田丸(山本耕二さん効果)」などの
影響により徐々にイメージが回復しています!!

 「石田三成」という男…本当のところどうなの?
それを今回、皆さんにご報告させて頂きたいと思います。

目次

  1. 石田三成って?

  2. 現代の石田三成の立ち位置

  3. 石田三成のエピソード

  4. 調査結果

という流れでやってまいります。

1、石田三成って?

 石田三成 (1560〜1600)
 安土桃山時代の武将・大名
 豊臣政権下で、五奉行の一人として活躍。
 様々な政策や実務等に活躍した。

2、現代の石田三成の立ち位置

 先ほども書きましたが、「石田三成」は
決して良いイメージを持っている人は少ないと思います。
これは江戸時代:265年間の徳川時代の影響が大きいと言われています。
しかし、最近は石田三成の研究も進み三成を取り巻く環境が
大きく変わっています。

 では実際のところ、「石田三成」ってどうなの?という話ですが…
結果 = 超優秀」 です!(戦下手と言われてますが…)
ここでの超優秀というのは、政務官(文官)としての石田三成です。

■石田三成の仕事っぷり(諸説あり)
①秀吉天下取りの後方支援 → 武具・兵糧の確保(兵站を担当)
②重要な都市の内政業務  → 商業が栄えていた「堺・博多」の内政を担当
③秀吉目玉政策の実行役  → 太閤検地、刀狩り、兵農分離の実行役 etc.

 上記の様に、石田三成の優秀さ・秀吉からの信頼が伺うことができます。
この優秀さが後に…
<武断派>と言われる武将たちと仲が悪くなる原因になるとは…

3、石田三成のエピソード

 石田三成は有名なエピソードは多々あります。(諸説あり)
ここではそのエピソードの一部をご紹介していきます。

<1> 旗印(大一大万大吉)
 石田三成軍が戦などに行く際、自軍の証である旗印に特徴があります。
それが「大一大万大吉」です。
 意味としては、
「一人が万人の為に、万人は一人の為に、さすれば世に幸福がもたらされる」
ということで、現代でいうと「one for all, all for one」ということです。
 こういうエピソードに三成が自軍の兵や領国の民を思いやり、
大切にしていたことがわかります。

<2> 大谷吉継との絆
 石田三成と大谷吉継の絆は堅かったとのこと。
仲良くなったキッカケは茶会での三成の男前行動がキッカケで絆が生まれた。
→ このエピソードの詳細は今回割愛させて頂きます。

 それから、イイことだけでなく厳しい事も言えるのが「親友」というものです。
それは、三成が関ヶ原の戦いの直前…吉継に今後の相談をした際
「お前(三成)は人望がないから表に立って家康と戦うな!」と
言った逸話が残っています。
 しかし、三成は止まることなく関ヶ原に向かっていくのですが…
そこに現れたのが「大谷吉継!!」負け戦と分かっていても三成のことを
思っていたという二人の絆の強さを感じるお話でした。

4、調査結果

・石田三成に対してのイメージは最近、回復傾向であることがわかりました。

・三成を現代社会でいうと…
 → 「エリート官僚」や「(株)豊臣秀吉の取締役」と言ったところでしょうか。
  三成の仕事っぷりのところで少しお話しさせて頂きましたが、
  大坂城で「人・モノ・金」を管理する三成率いる<文治派>と
  戦場の最前線に行き、生死を賭けて戦った加藤清正、福島正則、
  黒田長政らが率いる<武断派>とでは視点や考え方も違うので
  ”そりゃ〜仲悪いよね”という話になりますよね?

  皆さんの会社にも派閥などがあると思いますが、400年以上前にも
 あったと思うと人間って変わらないな〜と感じてしまいますよね。笑

・最後に三成は…非常に魅力的な人間であり、優秀がゆえ
 秀吉からの信頼を勝ち取った一方で…
 調整役として嫌われ役もこなさなければいけなかった…
 「かわいそうな武将」ということがわかりました。


           <皆さんの石田三成のイメージ変わりましたか?
 

                歴史探偵Q  「調査報告書」
                  #2 :石田三成

                    調査完了…

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