れきシーク

私の好きなものは「歴史」。特に「日本史」です。れきシークは、歴史(れきし)+Seek(…

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私の好きなものは「歴史」。特に「日本史」です。れきシークは、歴史(れきし)+Seek(シーク)をつなげた造語になります。これからの人生で歴史を探究し続けていきたいと思います。歴史を通じて、皆様の励みになることを発信し、そして、歴史好きの人との輪が作っていきたいです。

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れきシークのプロフィール

はじめに今回は、私のプロフィールについて書きます。 昭和57生まれの40代です。大学を卒業後、営業職を20年以上勤めています。趣味は、これから書く歴史(主に日本史)と最近始めた釣りです(釣りは下手の横好きレベルです)。 noteで取り組みたいこと① 歴史を通じて多くの方との繋がりを持っていきたいです。皆様が興味を持ってもらえる記事を届けていきます。 ② 歴史上の人物やイベントを振り返り、読者の方々の勇気づけや参考になる発信をしていきます。 ③ 本業は営業職です。そのため

    • 毛利元就〜その後〜

      はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。約1ヶ月ぶりの投稿になります。年末年始から、ずっとバタバタしており、ついつい投稿を遅らせてしまいました。 今回にて毛利元就編の最終話にいたします。読んでいただき、ありがとうございました。 1555年、元就が59歳の時に厳島の戦いがありました。その勢いで、1557年に大内家を滅ぼし、一気に西日本を代表する大大名に駆け上がります。大内家の領地を手に入れた元就は、1566年70歳の時に遂に尼子家も滅ぼします。若い時から悩

      • 厳島の戦い

        はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 元就は、54歳の時に井上一族を討滅し、支配権力を強固なものにしました。井上一族の罪状について家臣団から異論がない旨を記した誓詞を提出させ、これまでの連合体に似た勢力だった毛利家を変革し、元就を中心とした毛利家が上に立つことを認めさせました。 そして、大寧寺の変が発生します。陶隆房の謀反により、当主の大内義隆が倒され、新政権が誕生したのです。隆房は、新

        • 毛利元就〜転機〜

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 元就は、小早川家と吉川家に自分の子供(三男隆景と次男元春)を送り込み、乗っ取りに成功しました。これは、のちに毛利両川体制と呼ばれるものになります。こうして、安芸国での地盤を確立してまきます。また、この間に長男の隆元に家督を譲りました。しかし、元就が完全に隠居したわけではなく、実権は彼が握っていたようです。元就が一つ上の立場から三家を指導するためであった

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        れきシークのプロフィール

          毛利元就〜地盤の確立〜

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 元就45歳の時、彼は安芸国の中心人物として認められ、一つの山を作り上げました。大内家、尼子家の二大勢力に挟まれながら、地盤を整えた状況です。しかし、まだ両家の強い影響を受けています。そうなると、この状況を脱し、自立したいと考えるのが自然です。そして、元就は、両家を超えるための地盤固めに動いていくのでした。 月山富田城の戦い大内家の中において、吉田郡山

          毛利元就〜地盤の確立〜

          毛利元就〜安芸国の中心人物へ〜

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 尼子家から大内家への従属尼子家からの度重なる介入に元就は、不信感を募らせていったと思われます。しかし、元就は重臣を人質に出しており、容易に大内家に乗りかえることが可能な状況ではありませんでした。 1524年、大内義興は、嫡男の義隆を伴い安芸国に侵攻を開始します。この戦いでは、元就は尼子方として戦います。銀山城の戦いでは、包囲している大内軍、陶興房の背

          毛利元就〜安芸国の中心人物へ〜

          毛利元就〜家督相続時の混乱〜

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 家督相続時の尼子家の介入これまでの元就の活躍をみて、山陰地方の大名、尼子経久が警戒を始めました。 尼子経久は、一代で下剋上を成し遂げた人物です。はじめは、京極家に仕え、後に下剋上を成し遂げた人物です。 尼子経久は、元就排除の動きを始めました。経久の意向を受けた彼の重臣、亀井秀綱が元就の家臣の坂広英と渡辺勝に働きかけを行います。彼らは、元就の異母弟、

          毛利元就〜家督相続時の混乱〜

          毛利元就の家督相続

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。前回に引き続き、毛利元就を書いていきます。よろしくお願いします。 前回は、毛利氏のはじまりと彼の人生の幼少時について書きました。彼の父、そして兄が亡くなってしまい、兄の長男、幸松丸の後見人として歴史の表舞台に立ちました。 有田中井手の戦い1517年、興元が亡くなり、幼い当主が率いることになった毛利氏の混乱を好機と見た佐東銀山城主、武田元繁が攻めてきます。武田氏は安芸国の守護です。元就は、先手必勝を考え、籠城せずに有

          毛利元就の家督相続

          毛利元就 プロローグ

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。先週は、色々とバタバタしておりまして、先週の投稿をとばしてしまい、1週間あいてしまいました。下記の画像も月曜日に出ており、皆様方には申し訳ございません。 毛利氏のはじまり毛利氏は、鎌倉幕府の功臣大江広元からはじまります。昨年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」にも登場していた人物です。もともと、京都の下級貴族でしたが、鎌倉へ下り、そして源頼朝の側近となり、幕府創設に貢献しました。広元は、鎌倉幕府の仕組み作りに貢献している

          毛利元就 プロローグ

          これから毛利元就について書いていきます

          はじめにこんにちは。れきシークです。すきが合計600回を超えたようで、祝福メッセージが出ていました。皆様、記事を読んでいただき、また「すき」をしていただき、いつもありがとうございます。 特に下記の記事が読まれていおります。自分なりの考えをまとめた記事が思った以上に反響を得ており、驚いております。 何を書くか迷いましたれきシークのコンセプトに戻り歴史ネタをまた書いていきたいと思います。私がnoteを書き始めた時に徳川家康を書きました。戦国時代の最終勝利者です。それを起点に取り

          これから毛利元就について書いていきます

          noteを始めて本業(営業職)に良い影響だったこと②〜情報提供について言語化できたこと〜

          はじめに 先週火曜日に下記のメッセージが表示されていました。#日本史がすき 応募作品の中で私の記事が特にスキを集めたとのことです。 また、フォロワー数、すきの数も順調に増えております。皆様、読んでいただき、ありがとうございます。 情報提供について営業職をされている方は、日々の訪問の中で情報提供を行うことは、使命の一つかと思います。業界動向や新製品、セミナーの情報を提供していると思います。noteを始めてみて、類似する内容が多く、今回記事にしました。 営業活動における関係

          noteを始めて本業(営業職)に良い影響だったこと②〜情報提供について言語化できたこと〜

          外に目を向けて気づいたこと

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。先週、下記の「おめでとうございます」が表示され、私の記事が特にスキを集めたとのことです。 日本史以外のジャンルで投稿した記事ですが、こんなに読んでいただけるとは思わなかったので、うれしいです!ビュー数では、初投稿の記事に次いで2番目となっており、私も驚いております。 また、私の記事が合計500回スキされたようです。 noteをはじめて、3ヶ月目に入りましたが、何とか毎週投稿し続けることができております。皆様のおかげです

          外に目を向けて気づいたこと

          90代で再起した戦国武将について

          はじめに皆様、いつも読んでいただき、ありがとうございます。先週、下記の祝福画像が出ていました。「合計400回のスキ」をされたとのことです。皆様、いつも「スキ」「フォロー」ありがとうございます。 さて、今回は、歴史の話を書いていきます。何を書こうかと考えたときに、前々から紹介したいと思っていた戦国武将、「龍造寺家兼」を書きたいと思います。人は何歳でも再起できると思える人物です。 龍造寺家兼を知ったきっかけ龍造寺家兼、一般的には、ほとんどの方がご存知ないと思います。この武将のポ

          90代で再起した戦国武将について

          noteを始めて本業(営業職)に良い影響だったこと〜営業の基本を改めて見直せたこと〜

          はじめに私は、7月にnoteデビューしました。デビューのきっかけは、前回の記事に記載した「ラフシフトラボ」のコーチからのアドバイスを受けたからです。 キャリアコーチからは、歴史好きの方へのすきやフォローを通じて、つながりを作っていくようにアドバイスを受けたました。 私は、昭和生まれの40代で大学生の頃は、掲示板があった程度でSNS等は、無かったと思います。30歳前にiPhone やiPadが登場し、その後、SNSが普及していきました。しかし、社会人になってからは、会社と自

          noteを始めて本業(営業職)に良い影響だったこと〜営業の基本を改めて見直せたこと〜

          徳川家康の40代 不惑の40代の乗り越え方

          はじめに今週月曜日に私が書いた記事が「#日本史が好き」の中で先週特に「スキ」を集めた記事の1つ、と祝福コメントが出てきました。今回は、キャプチャしましたので、アップします。フォロー・すき・コメント、読んでくださっている方、いつもありがとうございます。 https://note.com/rekiseek/n/n679bd4c66168 今回の記事では、私が徳川家康の40代に学んだことについて書いていきます。私が学んだたことは、以下の3点です。「自力をつける」「課題に取り組む

          徳川家康の40代 不惑の40代の乗り越え方

          徳川家康の40代 関東への転勤編② 関東への移封

          はじめに 「スキ」が累計200回を超え、また今週月曜日に私が最初に書いた記事が先週もっとも「スキ」をされた記事の1つ、と祝福コメントが出てきました(キャプチャせずに消してしまいました・・・)。noteを初めて1ヶ月になります。フォロー・すき・コメント、読んでくださっている方、いつもありがとうございます。 豊臣秀吉の北条征伐  天下人、豊臣秀吉に従うことになった徳川家康には、秀吉の目指す天下統一そして、惣無事令を実現するため、最後の大きな課題である相模の北条氏政・氏直 父

          徳川家康の40代 関東への転勤編② 関東への移封