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これから毛利元就について書いていきます

はじめに

こんにちは。れきシークです。すきが合計600回を超えたようで、祝福メッセージが出ていました。皆様、記事を読んでいただき、また「すき」をしていただき、いつもありがとうございます。
特に下記の記事が読まれていおります。自分なりの考えをまとめた記事が思った以上に反響を得ており、驚いております。

何を書くか迷いました

れきシークのコンセプトに戻り歴史ネタをまた書いていきたいと思います。私がnoteを書き始めた時に徳川家康を書きました。戦国時代の最終勝利者です。それを起点に取り上げる人物を考えてみました。
征夷大将軍繋がりで源頼朝や足利尊氏、戦国三英傑繋がりで織田信長や豊臣秀吉なが思いつきました。
しかし、noteを始めたときに取り上げたいと思っていた武将がいました。それは、毛利元就です。以前、大河ドラマにも取り上げられたので、殆どの方がご存じだと思います。

毛利元就の理由

59歳の厳島の戦いを転機に飛躍していることです。

安芸国(現在の広島県)の国人領主としてスタートした彼は、大内氏や尼子氏などの強大な大名の間をくぐりぬけ、そして、最後は打ち勝ち、中国地方の大大名となります。戦国西日本の覇者といった感じでしょうか。
彼は、享年75歳で生涯を閉じます。大きな転機となった厳島の合戦は、天文24年(1555年)の厳島の戦いです。この時、彼は59歳です。現代の私たちでは定年直前の年齢です。この戦いを転機として、大内氏、そして尼子氏を滅ぼし中国地方最大の大名となるのです。

現在、私は40代です。20代から会社で仕事をしてきておりますが、ふと60代を考える時があります。30代までは、好きなことをして過ごそうくらいに漠然とした考えでした。しかし、40代に入り定年後が具体的になってくると、そもそも好きなことって何?と考えるようになりました。

健康を考えてお酒は飲まない、三本の矢の教え、天下を望むなと子孫に言い遺したなど、多くのエピソードが残っている人物でもあります。

私ももちろん彼の人生は知っていますが、再度調べてみることで新たな再発見があるのではないかと考えています。59歳で大きな転機を迎えた彼の人生を調べてみます。

次回から、しばらく毛利元就について書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

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