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徳川家康の40代 不惑の40代の乗り越え方

はじめに

今週月曜日に私が書いた記事が「#日本史が好き」の中で先週特に「スキ」を集めた記事の1つ、と祝福コメントが出てきました。今回は、キャプチャしましたので、アップします。フォロー・すき・コメント、読んでくださっている方、いつもありがとうございます。

皆様 ありがとうございます!!

https://note.com/rekiseek/n/n679bd4c66168

今回の記事では、私が徳川家康の40代に学んだことについて書いていきます。私が学んだたことは、以下の3点です。「自力をつける」「課題に取り組む」「40代の挑戦はその後の人生に活きる」です。
不惑の40代になられた方、いかがでしょうか?家康の40代を振り返り、私自身含め、皆様の気づきや参考になれば幸いです。よろしくお願いします。

自力をつける 〜目立つところばかり目を向けない〜

本能寺の変後の徳川家康の行動がこのことを表していると私は考えました。
40代の家康を悩ませるイベントが何度も発生しています。その中でも最も大きなものが、「本能寺の変」でしょうか。織田信長のもと、紆余曲折はありましたが、領土を拡張し、実力をつけ、安定してきたところに織田信長が明智光秀によって倒されます。家康は、まさに目の前が真っ暗になってしまった状況と推測されます。

変後の家康は、織田家の中央(畿内)での争いに加わらず、旧武田家の領土(甲斐・信濃)へ侵攻します。もちろん、一筋縄ではいかず、上杉家や北条家、真田家との争いがありました。しかし、織田家の争いに加わらなかったことが、結果的に家康を5ヶ国領有の大大名へと押し上げて確固たる実力をつけるに至ったと考えます。

織田家の一員ではなかったということもあると思いますが、もし、この時に家康が織田家内部の抗争に加わっていたら、どうなっていたでしょうか。羽柴派、柴田派に属すか、徳川派を作るか、いずれにせよ最終勝利者とならなかった場合は、徳川家は消耗してしまい、織田家後継者の一大名となってしまった可能性が高かったと考えます。

実力を着実につけていくことの重要性を私は感じました。

課題に取り組むこと〜気持ちを切り替えること〜

40代の家康は、課題の連続です。本能寺の変、小牧・長久手の戦いとその後の豊臣秀吉との向き合い方、駿河・遠江・三河の領国立て直し、関東移封と続いていきます。その都度、家康は、目の前の課題に取り組んでいきます。必ずしも、良い結果にならなかったこともあります(小牧・長久手戦後の戦略的敗北と豊臣家への臣従)。育ててきた地盤、立て直している領土を変えられてしまったこともあります(関東移封)。しかし、家康は、すぐに気持ちを切り替えて、精力的に取り組んでいます。

豊臣家へ臣従した後は、豊臣家5ヶ国大名として、疲弊した領土の立て直しに取り組んでいます。そして、北条家を従属させるべく動いています。秀吉が北条家を征伐し、関東へ移封したときは、素早く動き出して、領地の経営を始めています。

私たちも目の前の課題に取り組んでいく中で、失敗や望まない通達、境遇などあると思います。しかし、その際は素早く切り替えて、行動すること、それがさらなる実力向上につながると感じました。

40代の挑戦〜50代以降の正念場で活きる〜

私が50代以降の徳川家康の人生に活きていると考えるイベントは、やはり、小牧・長久手の戦いだと考えます。

小牧・長久手の戦いへの挑戦がのちの関ヶ原の戦いに活きていると考えます。全国規模の外交戦、大軍を相手にした合戦の経験です。そもそも、この戦いで家康が秀吉を苦しめたからこそ、豊臣家ナンバー2の座を確保し、秀吉死後の天下取りに繋がったのです。

関ヶ原の戦いで西軍を率いた石田三成にそのような経験はありませんでした。他の西軍首脳陣の武将もありませんでした。そうなれば、自ずと経験差が大きくなり、そこから出る戦略・戦術にも差が開きます。最終的には、徳川家康の圧勝となり、天下人としての地位を確固たるものにしました。

40代の挑戦が50代に活きてくる、私は、このことを強く感じました。

まとめ〜「上を見るな」「身の程を知れ」〜

家康の名言の一つに「上を見るな」「身の程を知れ」というものがあるらしいです。現代の感覚で言葉をそのまま受け取ると、受身的で何もしない、という受け取り方になると思います。
しかし、私なりに考えてみると、周囲のことを必要以上に振り回されず、着実に一つ一つの目の前の課題・困難に挑戦していくことを説いているように思えます。家康の40代の取り組みを見ると、まさにその通りのことを実践しています。
不惑の40代に入った私ですが、周りの状況に惑わされず、目の前の課題に挑戦していくことが重要であり、そうありたいと強く思います。

余談となりますが、
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候「朝倉宗滴話記」と言われた戦国時代の最後の勝者が「上を見るな」「身の程を知れ」との名言を残しています。この2つの言葉に共通点もあり相反する点もあり、歴史の面白さを私は、感じました。


この記事にて「徳川家康の40代」を終了します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

記事を作成するに際し、以下の書籍を参考にしました。

小川雄・柴裕之編著,「図説 徳川家康と家臣団」,
戎光祥出版株式会社, 2022年11月
長屋良行, 「家康の10大危機, ゆいぽおと, 2023年3月
中村孝也, 「徳川家康公傳」新装版, 吉川弘文館, 2019年9月
笠谷和比古, 徳川家康, ミネルヴァ書房, 2016年12月

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