夢を語る力は、生きる力。
今の大学入試は一昔前の就職試験みたいになってる。
聞いてはいたけどホントだ、と実感して帰ってきた。
合格を果たした在校生の声は
過去と現在と夢が力強く語られたもので
生きる力が強すぎて眩しかった。
受験までに取り組んできたのは何だったのか
何故それに取り組んだのか
取り組んで得たのはどんな経験か
そこで何を学んだのか
それをどう活かして何をしたいのか
それは何故か
終わりのない問いに真っ向勝負して、
まっすぐに未来に光をみて
自分の言葉でこんなにも語れる姿には
心が震えた。
言葉にならない心地よく揺るがされるものがあった。
ここに取り組んでこなかったり
取り組み方がわからない大人が多い中で
今ココで取り組んでいる17歳が今はたくさんいる。
人生の前倒しが起きているのを感じた。
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帰りの飛行機、
コンテンツの中にサイモンシネックがいた。
またかよ!と思った。
もう何度となくみてるよゴールデンサークル。
この流れで、もう帰るっていうのにこれかよ!と思った。
溜め込んでいた感情が溢れすぎて
溺れているような感覚、
「whyとかちょっともう今は勘弁して」
問いとかから離れたいと思っていた矢先、
逃れられない感じにうんざりした。
溺れて足掻いてるときは
もうそれに疲れている。
溺れていると思っても足がつくと気付くまでは
先に進むのは難しい。
溺れきって、足掻ききればいい、と思って
そのときの私は溺れて足掻いていた。
セラピスト界隈でも有名な、これ。
だって、癒しに問いは必須なのだから。
自分の中で起きる「あ~そうだったのか!」に
余白へのヒントが隠れているのだから。
人は優秀な問いを待っている、でも
自分だけではたどり着けない、のだから。
外に問える力は、
自分が自分に問うてきた力に準ずる。と思う。
教育の現場で用意されているペーパーテストでは
出会えない問いは自分の中にあって
問いに気付くきっかけは日常に転がっている。
その欠片を拾う経験こそが、その感情こそが、
人生の命題へのヒントになる。
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そういえば「ドリームキラー」なる言葉があったと
師とのやりとりで思い出させてもらった。
「そんなの無理」
「もうね、しょうがないの」
「夢なんて選ばれた人しか叶わない」
「もう充分じゃないの」
そんな言葉から「諦め」の周波数を
多分に浴びてきた私。
大切なのは私がどうしたいのか、
ということを知らなかったいつかの私が
「諦めたくない」の悔しさを抱えて
泣いていた。
週末に退院した父がまた入院することになった。
生き辛さを抱えながらも生きるを選び続ける父。
言葉はなくともその姿から投げられる問いは多い。
拾わなくてもいい
取り合わなくてもいい
と、頭でわかっていても
気になってしまうこと
モヤモヤしてしまうことには
自分へのメッセージが隠れている。
気にしなくていい、は難しい。
だって、気になってしまうのだから。
いつかの自分の中で燻っている感情が震えている。
そこにある「why」に気づいて受容できた時、
それまでに感じて見えていたものが変わってくる。
気になってしまうものも
気にならなくなる。
持ち合わせてるエネルギーを
もっとポジティブに使えるようになる。
そのプロセスには問いと感情があるのだと思う。
なんでこうなんだろう、と思う度に
いろんな思いが湧いてきて泣けてきたけど
諦めるも諦めないもどっちでもよくて
私の中の答えは別にあった。
モヤモヤするのは自分にとってのチャンス
とは、ある程度余裕がないと受け取れない。
モヤモヤしすぎていたら、
その心地悪さから早く抜け出したい、
なんとかしたい、なんとかしてよ!と思うもの。
でも、受け取れない自分もまた
愛すべき自分だ。
目の前のことをきっかけにして
自分に問いかけるのは、いつだって自分。
いつかの涙を光に変えられるのも自分。
あらゆるプロセスを重ねた人ほど輝いて見える。
年齢は関係ない。
タイミングを掴むか掴まないか。
夢を語る力は
生きる力だ。
本日、蟹座新月。
自身の何が揺らいで
どんなチャンスを掴むタイミングか。
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