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芸術と人生 Ⅱ


 芸術を深く楽しむために

 芸術が私達の長い人生を楽しく生きていくためには必要だと、無駄を楽しめる心持ちが必要だという話を前半部分(芸術と人生 Ⅰ)でした。

 そこで、後半部分ではより深く楽しむための工夫について話そうと思う。私達は音楽にしろ、映画にしろ、絵画にしろ、あらゆる作品を全然深く楽しめていない。

 芸術作品の楽しみ方は人それぞれだから、僕に細かいことに口出しするような権利はないかもしれない。しかし、参考になる部分があると思う。

頭の大きな小人さん


 突然だが、この絵に見覚えはあるだろうか。

 これは、「将来の自分と現代に生きる全ての人達へ」というフレーズと共にこの本の冒頭部分で載せた絵だ。

今ここで「これは何の絵だと思う?」と聞かれたら、あなたはどう思うだろうか。

 少し時間をとって、初めて見たつもりでじっくり見ながらこの絵が何を表しているのか、考えてみて欲しい。

 芸術を深く楽しむということがどういうことなのか考えるヒントになる。
 ちなみに、このキャラクター達は「頭の大きな小人さん」という名前だ。

 何となくでもいいので、自分なりの答えが見つかったら、次に進んでほしい。






 さて、先ほどの絵は何の絵だと思っただろうか。

 人によって想像した答えはバラバラだとは思うが、概ね「ゆるキャラ」「棒人間」「宇宙人」「頭の大きな小人」などが想像されていたのではないかと思う。


 これは、一体何の絵なのか。


 これは「現代人を表す絵」だと、僕は思っている。
 正確に言うと、頭の大きな小人さん達は現代人を表しているのだ。

 最初にこの絵を見たときに、少し違和感を感じたと思う。

 それは、「どうして頭が大きいのか」というものだ。
 どうして頭の大きな小人さんは現代人を表しているのだろうか。

 それは、体に対して頭の大きさの比率が異常に大きいというところにポイントがある。


 このエッセイ集には何度も書いたので、少々鬱陶しくなってきているころだとは思うけれど、現代に生きる人々はとてもかわいそうな人達だ。

 他の生物と違い、人は言葉を話す特殊な生き物だ。

 本来生物はご飯を食べて栄養を摂取し、安全なところで眠り、子孫を増やすという本能にプログラムされているものを淡々とこなしていく、冷たい言い方をすれば、いわゆるロボットのような存在だったはずだ。

 しかし、言葉を話すようになったことで、国家を形成したり、集団内のルールを作ったり、人間関係を構築したり、善悪の判断をするようになったり、と形のない高度な思考をすることができるようになった。

 そして、自分たちで形成した集団やルールによって、自分達が精神的に苦しい思いをすることが増えた。

 そして、中には「私には生きる価値がないんだ」と思って自分を追い詰めてしまう人もいる。

 でも、これは冷静に考えておかしい。

 「生きる価値」みたいなとんでもないものが存在しているのは言葉を話している人間だけだ。

 生物にはただ生きているという事実がそこに存在しているだけで、生きている意味なんていうものは本来ないはずなのだ。

 ただ、本能に従って、生きていく。

 だから、高度な思考能力を持った社会生活を営んでいる現代人は、体全体に対して、脳みそ、要するに頭の使っている比率が極端に大きい、「考えすぎな哀れな生き物」と言える。

 人は、生物であるという大前提に立って考えると、不可解な苦痛を味わっている変な生き物だ。

 だから、先程の「頭の大きな小人さん」の絵は、現代人を表しているのだ。まぁ「考えすぎな哀れな生き物」というのは僕のことでもあるので、表向きは「頭の大きな小人さん」という名前にしているけれど、僕はこのキャラクターを「ミニレイジ」とも呼んでいる。


 要するに、ただの絵として終わらせるのではなく、その作品に意味を与えることで、この絵には芸術としての命が吹き込まれたことになる。

 自分がただ受動的に作品を聴いたり見たりするだけではなく、それにまつわる背景知識を得たり、その作品が表しているもの、伝えたいメッセージなどを深く考えると、普段味わっている作品が数段面白くなる。

 もっと細部まで意識を向けると格段に作品が面白くなってくるのだ。

 何も今回の僕の絵のように、作成者本人が意味付けしなければいけないなんて言うことは全くない。

 自分が見た絵や文学作品などに、自分なりの「こういう意味かな?」という考えがあればあなたは芸術作品を深く楽しめていることになる。

 映画館で寝るという行為が、その映画をその人にとってあってないようなものにしてしまうように、作品を面白くするのもつまらなくするのも、その一端は受け手側にもあるのだ。


 いつもより少し、深く作品と向き合って考えてみるということができれば、今まで気が付かなかった側面に気が付いたり、自分なりの解釈が生まれたりして、より深く楽しむことができるようになる。



 芸術作品は、ただ見たり聴いたりするだけではなく、その背景にある作者の意図だったり、自分がその作品に触れてどう感じたのかを考えて初めて芸術になるのだ。

 私達は普段の生活の中で様々な音楽を聴いたり小説を読んだり、絵を見たりしている。

 しかし、よくよく考えてみると、それらは全て受動的で、楽しんでいるというよりぼーっと作品の雰囲気や表面をさらっと流す程度に触れているだけで、奥深いところまでは味わえていない。

 自分が普段聞いている曲の歌詞の内容やその意味、アーティストの過去やどういう信条で活動している人達なのか、彼らがアルバムやグッズなどに使うイラストの意味は何なのかを知ったり考えたりしたうえでで楽しんでいる人達はどれほどいるだろうか。

 アーティストのアルバムの写真でなくても、何でもいい。

 本の表紙や、企業のロゴデザイン、奇抜なデザインの建築物、美術館に展示してある作品でもいい。

 ただ何となくでもいいから、「これってどういう意味なんだろう?」と考えたことがあるだろうか。

 私達はあらゆる芸術作品が、それぞれどういうものなのかを「知っている」だけであって、「楽しむ」ことはできていないと思うのだ。

 好きなアーティストのアルバムに載っている絵の意味を考えてみたり、画家さんが描いた絵を見て、その絵を描いているときのその画家さんの気分を想像したり、その作品のテーマについて考えてみるだけでも、かなり面白い。

 意外と自分がぼけーっと何も考えずに見過ごしているものがあるのだな、と気が付くだろう。

 些細なことに気が付けると、自分が今楽しんでいる作品ももっと深く味わえるようになる。





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