「偉い人」に向かない人が「出世」すると自分も他人も不幸になります
面白い記事を見つけました。
「将来役職者になりたいと考えますか?」という問いに対して「いいえ(出世したくない)」と答えた20代が77.6%もおり、その理由の1位が「責任のある仕事をしたくない」という調査結果ですが、個人的にはこれはとても良い傾向だと思っています。
ひと昔前なら、このような結果は「出世欲がないなんて、何と嘆かわしい・・・」と受け止められていました。
実際に企業から「新入社員が管理職を目指すよう動機付けしてほしい」といった依頼もあり、その頃には「誰もが役職者を目指すべき」という考え方が根底にありました。
そして人事制度も教育制度も「全員が役職者を目指す」という前提で設計されていましたが、現実的にはポストに限りがあるため全員が役職者になることはなく、更に言えば全員が役職者に向いているとも限りません。
では「役職者に向いている人」はどのような人かと言うと、俗に言われるにが「器が大きい人(もしくは器を拡げられる人)」ですが、これでは何のことかイメージがつかないと思います。
そこで役職者の仕事とは何をすることか考えるとわかります。
課長でも部長でも本部長でも社長でもいいのですが、会社の中で「偉い人」と言われる人の仕事は「人を動かすこと」であり、そのための「意思決定」と「責任を取る」ことです。
例えば営業部の部長であれば、営業部全体の成績が自分の給料につながります。営業部全体が業績を上げるためにはどうすればよいか考え、それを部下に指示して実行していただきます。
そこでうまくいって業績が上がれば評価されますが、業績が上がらなければ自分が責任を取る必要があります。(具体的には評価ダウン、給料ダウン)
役職者というのは「部下の失敗の責任を取らされる役割」であるため、たとえ自分の意思決定が間違っていなくても部下のミスで目標が届かなかった場合は自分が全責任を負う必要があります。
そして、このときに「私はちゃんと指示したのに、部下がちゃんとやらなかったから結果が出なかった」という人がたまに居ますが、このような人こそ「役職者に向いていない人」です。
逆の言い方をすると、役職者に向いている人とは「部下の失敗によって自分が損することになってもそれを進んで背負える人」であると言えます。これが俗にいう「器の大きさ」です。
さて、「他人の落ち度を背負い込めるような人」なんて世の中に何割存在するか考えてみると、おそらく2割もいないと思います。多くの人にとって「他人の落ち度なんて背負いたくない」と思うのは自然なことです。
そのような人が「権力と報酬」欲しさに「偉い人」になっても、待っているのは不幸な事態です。
上司は思い通りに動かない部下を責め、部下は上司に反発して動かない、そしてチームは勝てない、という悪循環に陥ります。そして最終的には「リーダー失格」の烙印を押されてその座を追われます。
そんなわけで、冒頭で紹介した調査結果は「自分の器をちゃんと認識できる20代」が増えたという捉え方ができると考えています。
今の自分の器が他人のことまで構っている余裕がなく、他人の落ち度なんて背負い込めないと思ったら無理に役職者を目指すより、自分の仕事を極めていくことに注力したほうが良いでしょう。
そして、人生経験を積む中で少しずつ自分の器を拡げ、「より大きな目的のために他人の落ち度を背負い込んでもいい」と自然に思えた時に役職者を目指せばいいと思います。
おそらくその頃には本人も「役職者」=「偉い人」とは思っていないので、高い地位に就いても人に対して謙虚に振舞えるようになっています。
それが本当の意味での「出世」かもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。