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ルールそのものよりも、「ルールを決めるプロセス」に納得できるか?

昨日の続きです。

考え方も見える世界も全く異なるマジョリティとマイノリティが共存するためには「ルール」は確かに不可欠ですが、最初から誰もが納得できる完璧なルールを作るのはほぼ不可能です。

というのも、どんなルールでも「こちらを立てればあちらが立たず」の状態になるため、必ず誰かは不利益を被るからです。

そこで「ルールそのものの良し悪し」よりも「ルールを決めるプロセス」に同意していただき、誰もが納得できるプロセスでルールを決めることの方が重要になります。

ここで一つの事例を紹介します。

ある企業は業務プロセスを見直すために社内から優秀なメンバーを選抜してプロジェクトチームを立ち上げました。

プロジェクトに選ばれたメンバーは精緻に分析を行い、職場全体のメリットの最大化を考えて新たな業務ルールを制定しました。

ところがいざ新しいルールを社内に通達して実行する段階になったとき、現場から「こんなルールじゃ効率が落ちる!」とか、「面倒くさくてやってられない!」と言った声が続出し、ルールを無視した行動が横行しました。

当初はプロジェクトチームも「新しいルールの必要性」を一生懸命伝えていましたが、現場は一向に従おうとしないため、最終的に新しい業務ルールは頓挫してしまいました。

ルールそのものは言われるほど酷いものではなかったにも関わらず、反発の声が止まないのは「自分たちの知らないうちに密室で勝手に決まった」と捉えられたことが原因でした。

この事例の失敗要因はまさしく「ルールを決めるプロセス」への同意が得られないままルールを決めてしまったことにあります。

もし事前に「これから業務プロセスを見直し、新たなルールを制定します。プロジェクトメンバーはこちらで選抜しますが、参加したい人は手を挙げてください」という通知でもあれば結果は違っていたのかも知れません。

「ルールを決めるプロセス」については何でも構いません。極端な話「偉い人の独断と偏見で決める」でも皆がそれに納得できれば問題ありません。

そして、「ルールを決めるプロセス」に納得できるかどうかはそのプロセスが公正かどうか、言い換えると「ルールを決める人の責任が明確かどうか」にかかってきます。

仮に「偉い人」が独断と偏見でルールを決めたとしても、決めた責任が明確に「偉い人」にあればもしルールに不備があれば「偉い人」が責任を持って修正する必要があります。

ルールそのものは完璧なものでなくても、ルールを決めた責任が明確であれば人は納得することができます。

こうすることで決まったルールは初めて守られるようになります。

逆にどんなに民主的なプロセスでも当事者の同意を得ないままルールを決めてしまうと納得しない人が現れるため、いくら素晴らしいルールを作っても守られません。

特にルールを決める責任が誰にあるのかあいまいな場合は最悪です。
ルールに不備があっても誰も責任を取らないのであれば、ルールを守るのが馬鹿らしくなり、いずれルールが形骸化してしまいます。

職場でルールを決めるときはつい「みんなが納得できるルール」を作ろうとしてしまいますが、ルールそのものに納得がいかなくても「ルールを決めるプロセス」に納得できればルールは守られますので、まずはプロセスに同意していただくためのコミュニケーションを取ったほうが良いかもしれません。

次回はもう一つのポイント、ルールの運用について考えたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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