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「マジョリティ」と「マイノリティ」が共存するためには「ルール」が不可欠です

こんなニュースを見つけました。

ただの育休にわざわざ愛称をつけるのもどうかと思いますが、現実的に男性で「育休が取りづらい」と感じる人がいる以上、これはこれで有りかもしれません。

この「育休が取りづらい問題」について、個人的には「マジョリティ」と「マイノリティ」の対立構造になっているのが根底にあるのではないかと考えています。

もし育休を取る人と取らない人が半々、もしくは4対6ぐらいの割合であればおそらく誰も気にしないと思います。

ただ男性の中で「育休を取らない人」が9割近くを占めると、1割ちょっとの「育休を取りたい人」は圧倒的なマイノリティになってしまうため、マイノリティ側になりたくないという人は「育休が取りづらい」と感じるのもやむを得ないと思います。(マイノリティで構わないという人は気にせずに取りますが)

さて、「育休」一つとっても「マジョリティ」と「マイノリティ」に分かれてしまうと職場での共存は難しい問題になります。

というのも「マジョリティ」の視点から「マイノリティ」を見たときに「考え方が違う人」ではなく「多数派に迷惑をかける人」として見てしまいます。

「育休を取る人がいるせいでこっちの負担が増える!」といった言葉が出てくるのもまさにこのパターンです。

一方で「マイノリティ」の視点から「マジョリティ」を見たとき、これも「考え方が違う人」ではなく「こちらの事情に配慮しない横柄な人」として見てしまいます。

どちらが悪いというわけではないのですが、「マジョリティ」と「マイノリティ」に分かれてしまうとどうしても対立構造になりがちです。

このnoteでも何回か書いていますが、基本的に「マジョリティ」と「マイノリティ」が完全にわかり合うのはほぼ不可能と考えています。

というのも互いの「価値観」や「大切なもの」は異なるうえに、「見えている世界」も全く違うからです。

そのため、職場での「共存」を考えたとき、両者が仲良く手を取り合うことを目指すのではなく、互いに適度な距離を取りながら相互不可侵の状態を実現することが現実的です。

平たく言うと「相手のことを別に嫌ってもいいので、相手を攻撃するようなことはしない」というのを全員が守ることです。

そのために必要なものが「常識」や「モラル」、「マナー」ではなく、白黒が明確に線引きされた「ルール」です。

具体的には下図のように「ルールさえ守れば、後は何をしてもよい」という状態をつくることです。

もし「ルール」が存在していない、もしくは「ルール」が機能していない場合、下図のように互いの価値観、常識がぶつかり合います。

そこに「モラル」とか「マナー」といった一見正論に聞こえるものを持ち出して戦うともはや収集はつきません。「マジョリティ」と「マイノリティ」では「モラル」や「マナー」の基準がそもそも違うからです。

育休の例に戻すと、「業務を押しつけられる人の身にもなってみろ」とか「子供がいない人は不公平だ」といった意見は一見ごもっともですが、これはあくまで一つの価値観に過ぎません。

「モラル」とか「マナー」を持ち出すとどうしても「マジョリティ」が勝つので、両者の平和的な共存は叶いません。両者が共存するためにはやはり「ルール」を唯一の判断基準にするのが大事です。

例えば育休の取得に関しては「他人の迷惑」とか「職場の和」といったものを一切排除し、取得のルールを明確にしたうえで、それさえ守れば育休の取得に関して文句を言ってはいけないというルールをつくります。

具体的には「育休を取らない人」は心の中で「何だよ、あいつ育休なんか取りやがって!」と思うのは自由ですが、それを口に出してはいけないということです。

正当な理由で育休を取っても攻撃されないというルールが徹底されれば、「育休を取る人」がマイノリティであっても安心して育休が取得できるようになります。

ただし、もっとも重要なことは以下の2点です。

①.「ルール」をつくるプロセスが公正であること

②.「ルール」を厳格に運用すること

少なくとも誰かが独断で決めたルールを一方的に押しつけられても守ろうという気にならず、職場では徹底はされません。

また、ルールがあってもそれを守らない人を放置してしまうとルールが形骸化して結局はそれぞれの価値観の衝突になってしまいます。

詳しくはまた次の回で書きたいと思いますが、多様な人が共存しようと思ったらまずは全員が合意できる「ルール」をつくり、「ルールさえ守れば誰でも存在してよい」という職場にすることから始めると良いかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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