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タイトル回収が好き。

――タイトル回収する作品は、全てを見届けて本を閉じたときに、もう一度タイトルに戻ってくると、読書前と後とで意味合いが変わっていることに気が付きます。


人生は物語。

どうも横山黎です。

今回は、「タイトル回収が好き」というテーマで話していこうと思います。


☆タイトル論part3


前回、前々回とタイトルについて僕の持論を展開していっていますが、今回もタイトルについてです。ひとまず、これが最後かなと思います。

ちなみにこれまでのタイトル論の記事についてはこちらから↓↓


さて、今回は「タイトル回収が好き!」って話です。これは良し悪しというより、僕の好みの話なので、あらかじめご了承ください(笑)


はじめにですが。


この話をするにあたり、何が厄介かといえば、タイトル回収する作品のタイトルの魅力について語ろうとすれば、どんな風に回収するかまでを説明したくなるわけですが、それはつまりネタバレになってしまうのです。


この作品のタイトルは後で回収されるんだよね~という事実を伝えるだけでも、軽くネタバレになってしまうのです。


しかしそれだと何も言えなくなってしまうので、ネタバレを含みますという前提のもと、話を進めさせていただきます。



☆『進撃の巨人』のタイトル回収


タイトル回収する作品といえば、何が思い浮かべるでしょうかね。


最近の例でいえば、僕は『進撃の巨人』が挙げます。

原作を一通り読んだのですが、アニメにもはまってしまってこの前まで放送されていたFinal seasonパート2はリアルタイムで視聴するほどの熱狂っぷり。

『進撃の巨人』をあまり知らない人からすれば、「人を喰う巨人が進撃してきて兵団がそいつらと戦う物語」だと認識していることでしょう。


全然違う!!!!

もちろんその要素もあるけれど、それはこの物語の一要素でしかないのです。


話を戻しましょう。タイトル回収についてです。『進撃の巨人』は原作では34巻という決して短くない物語です。その中盤、このタイトルの本当の意味が分かるのです。このシーンは本当に鳥肌物です。

そして、物語が終盤に向かえば向かうほど、『進撃の巨人』は「進撃の巨人」の物語であることが分かるのです。何を言っているんだ、と思われますでしょうが、ご存知の方は「まさに!」と納得してくれるはずです。



☆本を閉じてもう一度タイトルへ


小説でいえば、米澤穂信さんの『遠まわりする雛』が好きですね。

季節外れの雛祭りの話です。その街では、生き雛祭りといって、少女が雛の格好をして街を練り歩く催しがあります。しかしその年、生き雛の歩くルートである橋で工事が行われてしまい、例年のルートよりも遠まわりすることになってしまったんですね。工事関係者には話をつけていたはずなのに、どうしてこのような事態になってしまったのか、ミステリーと呼ぶにはささやかすぎる謎ですが、穏やかな春を感じさせる青春ミステリーです。

お分かりの通り、このタイトルは作品の内容を示したものです。しかし、ここにはもう一つのメッセージが隠されています。物語を閉じたときに、その真意がぼんやり浮かび上がってくるのです。


僕はその体験が好きなのです。


本はまず、タイトルを楽しみます。その文字列からどんな物語が展開されるのか、想像する楽しみがあります。次に、ページをめくり、その答え合わせをしていきます。

タイトル回収する作品は、全てを見届けて本を閉じたときに、もう一度タイトルに戻ってくると、読書前と後とで意味合いが変わっていることに気が付きます。


3つの記事にわたって、タイトル論について物語ってきましたが、最後にここにまとめておきます。


①素敵なタイトルにはギャップがある

②殿堂入りした(その作品のものになった)タイトルが多くなってきたから、タイトルを長くすることで差別化をはかっている。

③②のような現場だからこそ、まだ殿堂入りしていない短いタイトルには大きな価値がある。

④タイトル回収する作品は、読書前と後とでその意味合いが変わる体験をくれる。


これらをふまえて、今後の創作に向き合っていこうと思います。是非、コメントで皆さんの意見を聞かせてください!


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

【#287】20220413 横山黎



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