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何度もあの夢を繰り返してばかりだ

――夢の道から離れた誰かとまた再会するために、僕らは再び夢の道を生きていきます。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「何度もあの夢を繰り返してばかりだ」というテーマで話していこうと思います。


📚夢追い人と呑んだ

昨日、高校時代の友達に会ってきました。岩手でバンド活動をしている山Dです。お互い東京にいたので久しぶりに会ってきました。

上野の飲み屋で呑み語り合ったんです。山Dは翌日から石川へ旅行とのことで早い時間に呑み始めて、8時よりも前に解散したんですが、それでも僕にとっては充実した時間で、きっと彼にとってもそうだったと思います。


周りを見渡せば何かを創っている人は少なくって、創作について、夢について語れる人は限られてきました。僕は作家、彼はミュージシャンとして夢中になっている日々を繰り返しています。

夢中とはいえ、光を感じ続けているわけではなくて、闇を感じることの方が多いんですよね。

そもそも生まないと何も始まらないし、届けないと誰も振り向いてくれない。届けたところで誰かの心を動かすかどうか分からないし、動かしたとしてもその喜びは一過性のもの。よくよく考えて見ると、創作とは世界一コスパの悪い作業のような気がします。

それでも、一瞬の喜びの価値は、創作している人しか、夢を追いかけている人しか感じ得ないものだし、その一瞬のために多大な時間をかけようと思えるくらいにやみつきになるんですよね。聞こえの悪い言い方をすれば、呪われている。

ずっと前から同じ夢を繰り返していて、高みを目指しているはずなのに階段を下りていたり、一歩でも前に、一秒でも早く進みたいのにムーンウォークをしたり、下手な理屈をつけて遠まわりしたり。

お金とか将来とか人間本来の欲望とか、そういったしがらみに足を取られて、純粋にがむしゃらに走り続けることができない僕らだけど、それでもまだ夢を見ていたいんですよね。不確かな明日を繰り返していきたいんです。


📚「再生」の物語

山Dが組んでいるのはazaliaというバンド。既にCDも出しているインディーズバンドです。彼らの曲の中に、「再生」という曲があります。配信もあるので是非聴いてみてほしいんですが、昨日、山Dからこの曲の物語を聞きました。

azaliaは一度ドラマーが抜けているんです。今は別のメンバーが加入しており活動を続けているわけですが、それでも当時のストレスは重かったそう。やっぱり一緒に音楽をやり続けてきた仲間がはなれていってしまう経験は胸に来るものがあります。自分の信じて歩いている道は正しいのか、そんな悩みも襲ってきたことでしょう。

その経験がベースになっている曲が、「再生」なのです。

短い曲なので、歌詞を引用しますね。

何度もあの夢を
繰り返してばかりだ
もう行かなきゃさよなら
言葉が頬伝う伝う
言いたいことはいつも
はぐらかしてばかりだ
いつかまた夢で会おう
だから僕はまたここで歌う

📚だから僕はまたここで

短い歌詞ですが、その中にある言葉の重みが、メッセージの尊さが、それを支えるメロディの切なさが、聴く者の鼓膜と心を震わせます。

同じ夢を繰り返して、正解かどうかも分からなくて、そばにいた仲間も離れていく道を、彼は、僕は今も歩いているんです。それでも、似た者同士、似たような道を歩いている人はいないわけではなくて、このnoteにもたくさんいます。

僕は去年の6月から毎日投稿を続けていますが、毎日noteの記事を更新する繰り返しの日々の先で何が待っているかは分かりません。答えのかけらみたいなものに出逢えることはあるけれど、それでも手ごたえはありません。

別の道へ踏み出す人の背中を見て、もしかしたら自分が歩いているのは一般道から外れた道なのかもしれないと不安がったりすることもある。でも、まだ夢見ていたいし、まだ夢は僕を突き動かすし、この足を止めることはできません。

夢の道から離れた誰かとまた再会するために、僕らは再び夢の道を生きていきます。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20230301 横山黎




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