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真面目ゆえの頭の固さ

今日は土曜日だが、朝から親友とミーティングして諸々のタスクをやって、これから従兄弟とフットサルをしに行く。何故か家のwifiからnoteが繋がらずスマホでポチポチ打っております…。

本日は
「真面目ゆえの頭の固さ」

僕は、こんなちゃらんぽらんな感じに見えるが、結構真面目と言われることが多い。

自分でも割と真面目な方だと思うし、オンオフの切り替えが激しいので、オンの時しか知らない人にはそう映っているみたいだ。

学生時代も特に何の悪さもせず、自分で言うと若干気持ち悪いがキャプテンや学級委員長をやっていたので先生からの評価や信頼は厚かったように思う。

その名残があると言えばいいように聞こえるし、反対にその殻をいつまでも破れずにいると捉えることもできて。

バンドをやったり、ネパールに行ったり、日本に帰ってきたと思ったら東京に行ったり、またネパールに戻ったり。

はたから見たら結構ぶっ飛んでるようにも見えるかもしれないが、そのシチュエーション毎の振る舞いには「真面目」が染み付いていた。

だから仲良くなった人や先輩、上司にも「お前って意外と真面目やな」とよく言われてきたのだが、正直あんまり嬉しくはなかった。

というのも真面目であるということは、裏を返せば普通で面白味がないとも受け取ることができる。

そして、僕自身も気づいているのである。

「真面目ゆえの頭の固さ」に。

昔からルールを守らない人が嫌いだった。

だから人にも厳しかったし、自分にも厳しかった。

小・中学校はサッカーのキャプテンをやっていたので、ルールを守らない部員には容赦無く詰めたりもしていた(笑)

だけど、今音楽やビジネスをやってみて気づいたことは何よりも「頭の柔軟さ」だと。

時にはルールスレスレであったり、ちょっとはみ出してみたりしてもいいのだ。

むしろ、ありきたりなものに人は惹かれない。

今までに見たこと・聞いたことがないものを生み出すのはいつだってルールを「守った」人ではなく、ルールを「作った」人だ。

僕の根本には「真面目」が染み付いている。

もちろん昔に比べると、これでもだいぶ頭は柔らかくなった方なのだが、それでもたまに「真面目」がいらないところで顔を出す。

これはもう性格や癖の話なので、なかなか直るものではないし直すことは難しい。

でも、これも訓練な気がする。

僕の友達でADHD気味でぶっ飛んでいる子やセンスがいいなと思う子は、昔から『?』がそこら中に転がっていたらしい。

だからよく学校の先生に悪気はないけど質問攻めをして困らせたり、怒らせたりしたこともあったらしい。

僕は言われたことやルールを守ってきただけだった。

ここにヒントが眠っている気がするのだ。

どんなことに対してもこれって本当にこうだろうか?というクエスチョンを持つことが頭の柔軟さに繋がる気がするのだ。フェリベトウンラ!

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