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自分の人生が充実しているから、他人を応援できる

ナマステ!
全回復!とまではいかないが、かなり回復して参りました。溜まってたタスクが鬼のようにあり逃げ出したいが、グッと堪えて向き合って参りましょう。にんにん!

本日は
「自分の人生が充実しているから、他人を応援できる」

先日のこと、Twitterをボーッと眺めていたら、今日のタイトルらしき言葉が流れてきた。僕の周りにはたくさんチャレンジャーがいて、「応援」が飛び交っている。僕も時には陰ながら、時には金銭的に(主にクラウドファンディング等で)応援している。

それこそあんまり声を大にしては言えないが、クラファンをお願いされようものなら、ページは流し読み程度で先に購入してしまっている自分がいた。今まではあまり意識していなかったけど、多分タイトルの言葉になぞるなら、僕は「充実」しているのだろう。

昔にこんな記事を書いた。

ネットで誹謗中傷する人は、最終避難所がないと。今回の記事にも共通するところが、やっぱりそういう人って自分の人生が充実していないのだろうなと思う。

きつい言い方をするなら、早くも「人生消化試合」に突入しているとでも言うのだろうか。誰かのチャレンジを嘲笑ったり、陰でコソコソ言ったり、「自分」ではなく「誰か」が話題の中心になっている。

すごく悲しいが、人生が全く充実していなければ他人を攻撃してしまうのだろう。だけど、もし自分がやりたいことが見つからず、全く充実していない人生を送っていたら、あっち側に行ってしまう気持ちもなんとなく分かる。

だからと言って解決策を出すのは難しい。結局はどこまでいっても他人なわけで、その人の深層心理はわからないし、変えることは難しい。と言うより、変える必要なんてそもそもないのかもしれない。

だからこそ、他人を応援できる人は自分を誇っても良いのではないだろうか。「余裕」と少しニュアンスが近いかもしれないが、きっと他人を応援できる人には心にちょこっとスペースがあるはずで。

そのスペースを誰かのために使うことができている。そして、そのスペースが他人への応援で埋まると、また充実度が上がり更にスペースが生まれるという好循環になっている気がする。

応援する、しないは自由だが、僕は改めて応援できる側の人間でいたいなと思った。そして、もっと応援するために自分の人生の充実度を更に高めていきたい。フェリベトウンラ!

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