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「執着を手放しなさい」の誤解

「執着を手放しなさい」

と多くのセラピストさんやカウンセラーさんが言っているように思います。

これ自体は良いと思うんですが、一方で、

「こわいな」と思うことがあります。

ご自身の目標や願っている願望があって、
それを達成したり叶えたいと思って長い期間
ずっと努力し続けている人に対して、

「 適わないのは、あなたの願いが執着に
 なっているからだ」

「 もう諦めた方が良いのに、
 いつまでも諦めずにいて『執着』になっている」

「 執着は手放して心にスペースを作らないと
 新しいことは入って来ないよ」

と、安易に、安直に言ってしまう場面を度々見ていて、

人の明るい未来や可能性をむしろ否定して潰して
しまっていると感じることもあります。


個人的には、

達成したい目標があるんだったら、
叶えたい願いがあるんだったら、

そのがんばってるあなたの姿や想いが、
人には「執着だ」と言われたとしても、

他人に被害を与えたり苦しめたり、
法に抵触しそうな行為などでない限りは、

自分が後悔しないように、気の済むまで続けた方が良いと思っています。

(やってることが間違ったり、やり方がまずくないかの
 チェックや、あなたを理解し想ってくれる人の支援を
 もらうことは必要ですけどね)


ただ、本当の課題や問題は次のことなんだと思います。

「これが手に入らないと私は幸せにはなれない」

「これもできないなら私はやっぱりダメな人間なんだ」

「あの人に負けるのだけは許せない」

「早くお金にしないと」

「大金を払っちゃったから続けないと無駄になっちゃう」


・・・みたいな、


自己否定

恐怖心

「元を取らなきゃ」観念

他人との比較卑下

終わりのない欠乏感


などなど、

自分で自分にムチ打ち、追い込むような考え方から来て
やっていることなら、

それこそが「執着」なんだと思います。


実現の可能性はよくわからないけど、はっきりは見えないけど、

でも自分を信じて、やれる間は、やれるだけやってみたいと思って努力し続ける気持ちでやっていることなら、

結果がどうあれ人のせいにするつもりもなくやっていることなら、

あなたは自分を信じて、やれるところまでやってみたら良いと思います。

それは、あなたの自由意思であり、
あなたの自由です。


時間がかかっていたり、固定観念では難しい印象があることだと、
人の支援をするプロの立場の人でさえ、もしかするとそれを
安直に「執着」と言ってしまう人もいるかもしれません。

なぜなら、「執着を手放しなさい」って人に言うことって、
妙に言いやすい言葉だったり、多くの人が遣っている、
”便利な言葉”だったりもするんです。

だから、安易に人に言ってしまいがちだったり、
事実、安易に言ってしまってることも多いんですよね。

でも、あなたがもし「ホントにそうだな」と思ったなら
感謝して素直に受け取れば良いし、

「?」「ホントに理解してくれてるわけではなさそうだ」

と感じたら、気にすることはないと思います。


むしろ、あなたのやっていることの動機が、上に挙げたような
自己否定、欠乏感、比較卑下などから出て来ているものでないか、

そこだけは確認してみてくださいね。


今のあなたに心からのエールをこめて♪


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