理学療法士は『身体』を何も知らない

理学療法士は身体について何も知りません。

こう言うと、怒る方がいるかもしれません。

「理学療法士は身体と運動の専門家だ」と。

そうかもしれませんが、その『身体』は誰の『身体』ですか?

理学療法士は何を知っていて、何を知らないのでしょう。

今回はそんなことを考えていきます。

このnoteを読むと、
●理学療法士が『身体』について何も知らないことがわかる
●『身体』について何を知るべきかがわかる
●臨床において必要な『身体』についての新しい視点が得られる


知らないことと知ろうとしないこと

ソクラテスの「無知の知」という言葉はご存知かと思います。

「世界はどうなっているのか、と考えるあなたはあなた自身について何を知っていますか。人間は何を知っているのですか」
 ソクラテスはこの質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に不知を自覚させようと努めました(「不知の自覚」。かつては「無知の知」とも呼ばれていましたが、正確には何も知らないことを自覚するという意味ですから、不知の自覚と呼ぶべきです)。(出口治明:哲学と宗教全史, P69, 2019)

ソクラテスは、人間は自分自身について何も知らないことを人々に自覚させようとしました。

現代では「無知の知」を謙遜みたいな意味合いで使う方もいますが、人間は本当に何も知らないということを言っているのです。

現代では様々な分野で知見が集まり、一見すると昔よりは色々な事を知っているように思われます。

しかし、実はよく分かっていないことの方が多いのです。

『科学的』なものは絶対的に正しいものとして捉えられる風潮がありますが、『科学的』であるとは絶対的なものでは全くありません。

間違いを検証し、修正していける。これこそが『科学的』であるということです。

今日の時点では絶対に正しいと思われている事柄であっても、明日それを明確に否定する知見が発表され、常識がひっくり返るかもしれません。

こういった視点に立つと、私たちは常に知ろうとすることが必要です。

「不知の自覚」とは、知らないことを自覚し、知ろうとすべきである、というソクラテスが人間に投げかけたメッセージです。

知らないことと知ろうとしないことは違います。

まずは自分の不知を自覚することから始まります。


理学療法士は『身体』について何を知っているのか

それでも、「理学療法士は身体について、現時点で正しいとされる知識・知見を知っている」という声はあるかもしれません。

確かにそうかもしれません。生理学・解剖学・運動学・物理学など、理学療法学の基礎となる学問については学んできたのですから。

ところで、理学療法の対象となるのは誰でしょうか。患者さんや利用者さん、クライアントですよね。

では、クライアントの身体を一番よく知っているのは誰でしょうか。

担当の理学療法士ですか?それとも主治医ですか?看護師ですか?

1日のうち多くてせいぜい1時間程度しか関われない我々が、一番知っているのですか?

クライアントの身体を一番よく知っているのは、一番長く付き合っている・向き合っているクライアント自身ではないでしょうか。

改めて問います。

あなたは目の前のクライアントの身体について、何を知っているのですか?


不知の自覚から始まる探求

我々理学療法士は、目の前のクライアントの身体について何も知りません。

このことを自覚できると、知ろうとする、知りたいと思うのが人間です。

ここから探求が始まります。

では、どうやって探求を進めていけば、どうやって知っていけば良いのでしょうか。

クライアント自身もご自身の身体について何も知らないかもしれませんが、少なくとも外から客観的に眺めている我々よりは知っているはずです。

であれば、クライアントに教えてもらうというのはどうでしょうか。

もちろん、クライアントが全てを口頭で説明することはできないと思います。

一方的に説明を求めるのではなく、クライアントと療法士が一緒に探求していく。

クライアントは自身の身体をどのように経験しているのか。
クライアントは自身が患った疾患をどのように経験しているのか。
理学療法(運動療法、物理療法)はクライアントの身体にとってどのような意味を持つのか。

このような疑問に対する答えを二人三脚で探求していける。

これが理学療法士がクライアントと関わる上でできる、すべきことなのではないでしょうか。


まとめ

理学療法士が『身体』について何も知らないということ、ご理解いただけたでしょうか。

私たちはクライアント自身にとっての身体を本当の意味で知ることはできません。

同じ疾患も、同じ身体も、自分で経験することはできないのですから。

であるならば、クライアントが一人では気付けないことへの気付きを促し、その気付きを教えてもらう。

こういった二人三脚での関わりを通し、お互いにクライアントの身体について知っていく。

こうして知った『身体』こそが、理学療法、さらにはリハビリテーションにおいて意味を持つのではないかと考えます。

ここまで『身体』という表現を使ってきましたが、このように考えていくと『心身』と言い換えた方が良いのかもしれません。

心と身体を分けて考えることの誤りはこちらのnoteで書いています。

理学療法士は、自身の不知を自覚し、クライアントと二人三脚で探求を進めて行く。

クライアント自身の経験している『身体』に立脚して、問題を解決していく。

このようなアップデートが必要なときにきているのではないでしょうか。


より深く学びたい方へ

引用した書籍。哲学と宗教について興味を持った方は入門に丁度良いと思います。

人類の思考の長い長い歴史が網羅されています。


おわりに

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